別腹という現象がある。
飲酒後に、食事を終えた後にも関わらず締めのラーメンを追加で食べたり、満腹なはずなのにスイーツなどのデザートを食べたりする際に別腹と表現したりする。
明らかな食べ過ぎに当たるこのような行為は、不思議な事に中和する行為でもある。
アルコールが分解される過程には、糖質が必要になってくる為、血糖(血液中の糖質)も消費されていきます。すると血糖値が下がって体が糖質を求めるようになります。そのためにラーメンのような糖質の多い食事が欲しくなってしまうのです。
脳の視床下部で、摂食調節関連ペプチドの一種、「オレキシン」と言う物質が分泌されます。オレキシンの働きにより、胃底部や胃体部が弛緩し、スペースを作り出すのだそうです。
別腹になるのは、飢餓に対する人間の本能で、脳のなせる業。
別腹は”足るを知らない”に通じ、大元には”恐怖”がある。
人間が何かに執着する時には、何かしら脳に染み付いた恐怖が関係している。
満足できない日々を変えるために、ある男が実践した「恐怖や不安の乗り越え方」
私たちの脳は「タマネギの層」のようになって発達してきました。空腹や性欲、恐怖を感じる部分、呼吸や心拍を司る部分は、最も基本的な機能として、タマネギの中心に近いところにあります。抽象的思考や論理的思考を司る部分は、外側の方の前頭前皮質にあります。タマネギの中心は私たちの先祖も持っていて、前頭前皮質が発達して今の私たちの脳のサイズになるずっと前のものです。人類の発達と同じように、赤ちゃんの脳もタマネギの中心部から発達するので、理由付けをする能力を持つ前に、むき出しの感情を経験してしまうのです。
少しずつ怖いものと向き合っていかなければ、タマネギの中心にある原始的な脳だけが働き、怖いと感じるものに対する論理的な理由付けができないままになってしまいます。
人がしのぎを削る学問やスポーツやビジネスの場では、”過ぎたるは及ばざるが如し”的なことがまかり通りやすい、最近でこそ度が過ぎた状態は”ブラック”と言われ、改める流れができているから、組織としてチームとして強制することは減る傾向にある。
しかし、純粋に個人レベルでは、ピンからキリまであり、強制されると悪い結果に繋がることも、自主的な判断で行う場合は悪いことばかりではない。
自主的に練習すること = 自主練。自分で主体性をもって練習すること = 自主練。
自主練は別腹だ。
いくら満腹になって苦しくてもデザートは食べられるように、いくらチームの練習(仕事)で疲れたとしても、その後に自分の意思(意志)とペースでやれる自主練ならば、疲れを感じない。そしてこういう時間に、自分だけの発見があり、自分だけの色を付けられる。
別腹は、スペアを求めるようにも思えるし、取り越し苦労や杞憂という人間の『性(サガ)』のようにも捉えられる。
意味は同じです。「取り越し苦労」が日本の慣用句であり、「杞憂」が中国の故事熟語であるの違いだけです。どちらも「無用な心配をすること」です。因みに「取り越し苦労」の「取り越す」は期日より前に行なう意であり、期日より先に物事を行なうためには、先のことを考えておかないといけないことから「先のことをあれこれ考える」「予測する」の意味を持つようになり、更に、「起こるかどうか分からない先のことをあれこれ考える」意味になったのだそうです。
現代の脳科学によると、私たちの脳は、因果関係がわからないことから来る不安を避けるように働くらしい。
だから、辻褄を合わせたがる。
悪いことが起きた場合に備えたり、上手く行かない場合に備えたり、そして備えが無駄にならないように備えたり、脳が発達した人間は「今」じゃないことに振り回されてばかりに見える。
今という時代に生きてると、ごく自然にリスク・マネージメントと称して取り越し苦労に取り組んでいる。
リスク・マネージメントに取り組むビジネスパーソンはかっこよく見えるが、「取り越し苦労マネージメント」と言われたら、無能に感じる。
何に不安を感じているかは、人によって様々だろうが、皆が何かに不安を感じる時代になっている。
そんな不安な気持ちは、様々な『別腹』を作っている。
以下余談。
毛色の変わった別腹もある。(人間ではないが)
「ブン蚊都市」佐賀で学んだ、刺されない生活 血液は別腹? 羽音の謎…「刺されやすい人」の特徴は?
血を吸うのは卵をつくるため。オスもメスも、日々の「ごはん」、エネルギー源としては花の蜜などを吸っています。ちょっとかわいい。 血の入るところと蜜が入るところは体の中で分かれているそうです。まさに別腹です。