宋文洲さんのメルマガを購読してるが最新号で面白い事を言っていた。
投資の経験を持つ方なら実感で分かると思いますが、同じ金額でも儲かった時の愉快な気持ちよりも、損した時の嫌な気持ちのほうがずっと大きいのです。心理学者の研究によればそのインパクトの大きさは後者が前者の3倍にも達するそうです。
「三倍原理」によれば毎月一回でも不快な喧嘩をすれば積み上げてきた幸せな記憶を全部破壊してしまうだけの威力があります。特に喧嘩の尾を引く相手だともう苦痛の記憶しか残らないはずです。
男女だけではありません。よく観察してみると魅力的な人よりも感じの良い人、つまり嫌味のない人はよく集まりやパーティーに誘われるのです。一見存在感の無い人だと見られてしまいますが、長い目で見ると定期的に人を不快にさせる人よりずっと他人に良いイメージを与えています。
このメルマガに対するコメントも面白いものがあるので是非見て欲しい。
世の中は詐欺ビジネスばかりになり、ずっと以前からビジネス書では、良い人であることより、少し狡いくらいな人でないと経営者には向かないなどと言われ続けてきたが、経営の最前線にいるそれなりの著名人が、従来型のビジネスの王道論である「リスクを取れ!」に異を唱えだしたところに時代の変化を感じる。(勝手にそう解釈させて頂いた)
快適だと居心地が良い、その居心地の良さに甘んじてると進歩は得られないというのが従来の価値観で、その価値観では居心地の良い環境にいることは、「甘んじてる」と表現され、怠けてることと同じ扱いを受けていたし、過去に遡れば、居心地の良さに満足してる人には向上心が無さそうに見える時代が確かにあった。
時代の変化の有り様を、様々に例えることができる。
振り子が振れるように、右に行ったり左に行ったり、バネが振れるように上に上がったものが下に落ちまた上がるのように、上下左右の動きで捉える見方があり、ある部分(時期)だけ捉えればそのように見えることもあるが、実際には螺旋階段のように上下左右の移動はあるが、決して同じところは通らない、そのような変化を辿っているような気がする。
「日進月歩」のようでありながら「温故知新」であり「栄枯盛衰」を繰り返す、人間はそのように生きている。
ところで、どこまで当てに出来るかは不明だが、ビジネスや企業の寿命や賞味期限は30年だとよく言われる。
Googleで「30年周期」と検索すると、
と出て来る。
多くの人が、その30年の節目が今、もしくは間もなく迎えると感じてることが伺える。
日本に関しては明るい話題が少ないが、日本人として皆が一つの螺旋階段を歩いているわけではなく、一人一人が自分の螺旋階段を歩いているはずだ。
30年前というのは、日本が空前のバブル景気を迎えるその前夜で、バブルは5年保たなかった。
30年前に日本にはびこった、金持ちになりたいという”魅力”が、その後もずっと続いているのが今の日本だが、時代は”快適”にシフトしている。
今年の年明けのブログに矢沢永吉の生き様を書いた。
居心地の良い居場所のことを、矢沢永吉は「ホーム」と言ってる。
矢沢永吉の著書「アー・ユー・ハッピー?」に以下のように書いてある。
~~ P267 ~~
面白いことを最近発見した。世の中には、ホームを持ってるやつと持ってないやつに分かれるんじゃないかと思うね。ホームっていうのは自分の帰るうちだ。家庭じゃなくてもいい。仕事かもしれない。 矢沢のホームは、ものをバーンと見せられるところだ。コンサートの快感もそうだし、CDもそうだね。オレはホームをちゃんと持っている。これを持っているから、ドーンと構えていられるんだな。アウェイばかりの人生は、人間という生き物には、難しすぎる。
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2001年に刊行された「アー・ユー・ハッピー?」。
2003年に「『アー・ユー・ハッピー?』の読者のみなさまへ」を加筆し文庫化された時に、上記のことばが追加された。
当時、矢沢永吉は35億円の詐欺に遭い裁判中で、その判決が出たことで 追加されたのが「『アー・ユー・ハッピー?』の読者のみなさまへ」だ。
裁判には勝ったが被害にあったお金は戻ってこない。
しかし、ずっと生き方は変わらなかった。
そんな時に気付いたのが上記のことばらしい。
「アー・ユー・ハッピー?」には、「アー・ユー・ファイティング?」の意味が隠れてるかもしれないとも書いてある。
「居心地の良い居場所」って贅沢のためでなく、生きるために必要。
快適を実現するためには『ホーム』が必要!