違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

最初に覚えたこと

アシェットの戦艦大和のダイキャストモデルのTVCMを見ていると、「充実したギミック」というナレーションが入る、このナレーションに違和感があった。

 

戦艦大和ダイキャストモデルのリンク先はここ

 

私が最初にギミックということばを知ったのは20年位前だろうか、レプリカ(複製)をギミックと称する文に遭遇したことがキッカケで、別に辞書を引くわけでもなく、文脈の流れから「ギミック=偽物」と覚えてしまったので、商品のCMでわざわざ偽物アピールする必要ないではないかと感じた違和感だった。

 

その後、ギミックと使われる文を解釈する時に「偽物」と当てはめても大きな不都合を感じることが無かったのでそのままにしていたが、改めて調べてみると。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/ギミック

ギミック(gimmick)は、英語で仕掛け、策略を意味する。

 

特定分野の用語

模型、玩具などの仕掛け、自動車ならドアや窓の開閉、ハンドル操作など。

マーチングバンドにおいて、曲調やキメを表現するための動作。

ギミック - プロレスラーの触れ込みのこと。設定された履歴や出身などのこと。

ギミック - SFXなどで用いられる撮影技術。

 

 

日本語に訳しづらい言葉のようで、ニュアンスとして「人目を引く仕掛け」という感じを持っているようだ。

 

偽物と言えば偽物だが、ニュアンスは全く違う。

 

 

間違えて覚えたと言えば、こんな思い出がある。

 

幼稚園の頃、私は果物のバナナのことを「バラナ」と覚えたのだ。

 

母親の発音がそう聞こえたからだ。

 

その後、その間違いを指摘されないまま小学校に入り、バナナを目の前にして友達とバナナかバラナかと喧嘩になったことがあり、圧倒的多数決で私が負けたのだが、納得できず家に帰って母にバラナが正しいよねと同意を求めたら、「バナナよ」と言われ、すごく突き放されたようで、傷ついた思い出がある。

 

バナナが正しいことはわかったが、その後しばらくバナナと発音することに生理的な違和感を感じ続けていた。

 

 

ギミックにやバナナの話は、最初に間違えて覚えてしまうと、正しいことに違和感を感じるという例として上げてみた。

 

 

最近、日本企業の不正や不祥事が続々と表に出て来る。

 

直近のお騒がせ企業は神戸製鋼だが、不正は40年前からやってるという社員や元社員からの証言が出ている。

 

神戸製鋼「不正40年以上前から」証言で注目すべきソ連との関係

覚えている方も多いと思うが、神戸製鋼がソ連の研究者や技術者と親交を深めていた80年代、当のソ連ではさまざまな分野での「粉飾」が横行していた。

 

なぜこうなってしまうのかというと、「計画経済」が骨の髄までしみついている弊害で、「自社の利益を得る」という「目標達成」だけしか見えなくなってしまい、自由主義経済の基本ともう言うべき「顧客」や「社会からの信頼」なんてところにまで考えが及ばないのである。

 

最初にこのようなやり方にシフトし始めた時、当時の社員は違和感ばかり感じながらやっていただろうが、その後新入社員で入ってくる人は、最初に覚えるのがその間違ったやり方で、それが40年間続いたら、誰も違和感を感じてないだろうし、自浄能力も発揮しようがないだろう。

 

似たようなことが日本のあちこちで起きているのだろう。

 

 

 

かつて日本のものづくりが手作業中心に行われてる時、作り手は職人と言われ、新人職人はベテランを横目に見ながら技を盗むことで成長していた、決して教えてもらえなかったし、教えようにもベテランも自分が何故出来るのかわかってなかったかもしれない。

 

新人は形だけ真似るが、容赦なくダメ出しをされ続ける、そこには効率の良さなどない。

 

客の要望を受け、客のために作っているのだが、ベテラン職人はきっと自分のために作業をしていただろう。

 

だから妥協しない代わりに素晴らしい品質が保てた。

 

時が流れ、新人が中堅になる頃には、新人時代どこにダメ出しをされてたがわかるようになっているだろう、わかるというより感じるものかもしれない。

 

 

今の時代のキーワードの1つにコストパフォーマンスというのがあるが、その特徴は、不特定多数の人に向け、そこそこの品質とリーズナブルな価格を実現する汎用性にある。

 

こうしてものづくりは誰のために作ってるかわからないものばかりが作られるようになってしまった。

 

ものはいっぱいあるのに、ほんのチョットこだわりを見せるとどれもこれも「違うだろう〜」となる。

 

だからだろうか、DIYが流行ってるし、女性も多く取り組んでいるようだ。

 

 

ところで大事なことは、覚えていることややっていることが間違っているということがわかった時の対処だ。

 

今年9月に世界は一気にEV(電気自動車)に舵を切る動きが出たが、どうやら丁度2年前に発覚して騒ぎになったVW(独フォルクスワーゲン)の排ガス不正事件が引き金らしい。

 

「ディーゼル神話」崩壊、ドイツがEVへ急転換 トヨタはハイブリッド車が欧州で絶好調 2017年08月07日

従来、試験値と実走行値の乖離は専門家であれば把握していた。だがドイツでは、自国の産業を保護したいロビイストや政治家が多く、見過ごされてきた。「欧州勢は法の網の目をかいくぐって、ディーゼル車を売ってきた」(日系メーカーの技術者)との批判は多い。ただ欧州委員会は、VWの不正発覚を境に態度を硬化。大気中のNOX量削減を各国に要請し、ドイツには、自国産業への甘さについても警告した。

 

 

 

まだ通用するものに見切りを付けることは、イノベーションや新しい価値観を見出すためには必要だが、慣れ親しんだものを手放すにはキッカケが必要だ。

 

多くの場合、キッカケは躓きや失敗だが、”最初に間違って覚えたこと”が原因のことがある。

 

躓いたり失敗した時に、何もしないでほとぼりが冷めるのを待つことに慣れると、イザという時に動けなくなる。

 

そんな時は、DIYで手作りしたり、運動をすると、違った世界が見えることがある。

 

現代社会で生きてると、ビジネスの分野では自社のことしか考えないが、プライベートでは思った以上に自分自身をないがしろにしてるかもしれない。