違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

『足の神様』という温故知新

水木しげるの『妖怪人類学』には世界中の妖怪が紹介されてるが、その中に”足の神”というのが出てくる、現在では足を含めた下半身の神様として祀られているのが宮城県多賀城市の荒脛神社だ。

 

宮城県多賀城市の荒脛神社

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もともとは純粋に旅人が足の無事を祈るものだったのだ。

 

道路も今のように整備されてるわけではないし、当然靴ではなく”わらじ”なのだろう。

 

歩いて旅をするというのは、ウオーキングを楽しむのとは全く違う冒険に近いものだったはずだ。

 

道中無事に過ごすためには、足に頑張ってもらうしかないので、足の神が祀られたのだろう。

 

似たようなものとして参勤交代がどのようなものだったかを検索すると。

 

 

紀州藩徳川家のケース

 

和歌山から江戸まで約625㎞を17泊18日で移動。 一日平均約35㎞のペース。

 

鳥取藩池田家のケース

 

鳥取から江戸まで約706㎞を21泊22日で移動。一日平均32㎞のペース

 

加賀藩前田家のケース

 

金沢から江戸まで約467㎞を12泊13日で移動。一日平均約36㎞

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1288355197

 

 

 

偉い人は馬や籠を使い、歩いたりしないだろうが、お付の大勢の部下は歩くはずだ、道の状態や地形も関係するが1日平均30kmの移動が相場のようだ。

 

距離がもっと伸びても1日30kmは維持されるのだろうかと検索すると、下記のように維持されてることがわかる。

 

 

海上路使用で約40日程であり、陸路使用で50~60日程の日程で鹿児島~江戸の440里(約1,700Km)を移動しています。

1日の移動は53日間での移動で32Kmですから、平均30Kmを1日で歩いたとします。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1015001255

 

 

 

旅行が歩くことに頼らずできるようになったのは鉄道の登場によってだが、日本では1872年の新橋と横浜を結んだのが最初だ。

 

参勤交代並みの旅行は東海道線が全線繋がった1889年まで待たねばならなかった。

 

一方、自動車が日本に初めて入ったのが1898年だが、当然道路の整備などされてない。

 

日本の自動車保有台数はその後1000台/年程のペースで微増を続け1923年(大正12年)に12,765台だったが、9月1日関東大震災によって公共交通機関が破壊され自動車の交通機関としての価値が認識されたことにより激増、1924年(大正13年)には24,333台[3]1926年(大正15年)には40,070台となっていた[4]1929年の世界恐慌など逆風が続く中、その後も漸増した。

https://ja.wikipedia.org/wiki/日本における自動車

 

 

日本でバスが登場したのは1903年だが、長距離輸送を担うようになり参勤交代レベルの移動距離が可能になったのは東名高速が全線開通した1969年(名神高速は1965年に開通)以降となる。

 

自動車やバスによる長距離移動が遅れた背景には、エンジンやタイヤの長距離走行や高速走行に対する性能不足や信頼不足もあった。

 

私たちにとって当たり前で有難みを感じてないことの多くが、如何に有難く、決して当り前ではないことがよくわかる。

 

ところで個人的には、参勤交代で歩いた人々が靴ではなく”わらじ”であったのだろうことを想像すると、それってどうだったんだろうかという疑問が湧いてくる。

 

思ってる以上にキツイのか?

 

思ったより歩きやすいのか?

 

検索すると面白い記事があった、今年の夏の話だ。

 

大昔の通信手段・飛脚は速かったの? 東京から大阪まで飛脚になって手紙を届ける

玉井さんが数百メートルでしょ、と私の飛脚の結果を予想していた。その通りだった。100メートルくらいで足が痛くて走っていられなくなった。ワラジの「ワラ」が足に食い込むのだ。靴擦れというか、ワラ擦れが起きている。

 

体力的にはもっと歩けた。それは間違いない。私は1日で90キロ歩いたり、40℃の炎天下に40キロ歩いたりした経験がある。しかし、ワラジには勝てなかった。血が滲むように出てくる。マメが破れ、そこにまたマメができる。痛くて歩けたもんじゃないのだ。

 

 

時代の進歩は、新幹線に数時間乗るだけで昔の人が数十日掛けた移動を可能にしているが、現代人にとってそれは普通のことだと思っているし、歩く場合でも靴のおかげで、靴の進化のおかげで楽に歩けていることをあまり意識していない。

 

今よりも歩くことが大変だった時代には、旅の道中の”足の無事”は祈りごとだったので、足の神様が必要とされたが、現代では足の神様は必要とされない、歴史は繰り返すと言う言葉はこういう時に使われる言葉ではないかもしれないが、もし当てはまるとするならば、現代人は何かを失ってることになる、だからそれを取り戻すために逆行するようにみえる動きが、繰り返しに見えるのかもしれない。

 

生物学的、人文社会学的な人間の特徴は、

 

  1. 二足歩行
  2. コミュニケーション(文化を含む)
  3. 道具の使用

 

の3つだとされている。

 

この3つの中で、時代の進歩に連れて衰えているのが二足歩行の能力だ。

 

他の2つは趣を変えながらも進化し発展している。

 

足の神様に思いを馳せることは、新しい気付きを与える温故知新となるだろう。