違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

言い訳のテクニックが向上してるからリテラシーを磨く必要がある

カタログなどを見てると目にする、「製品の仕様は予告なく変更することがあります」という表示がある。

 

表現の違いは若干あっても同じような表現を目にしたことがある人は多いだろう。

 

私を含め、多くの人はその意味を深く考えたことが無いだろう。

 

強いていうならば、気になるなら買う時に確認すれば良いだろう程度の認識だ。

 

そこには、変更は改良だろうという暗黙の信頼(過信?)が成立してるからかもしれない。

 

厳密に言うと変化してるけど、その変化はわかりません(使い勝手に変わりはありません)という意味で使っているように感じていたのでマイナス要素が潜んでいるようには感じなかった。

 

 

今、予告なく仕様が変更されることに新しい意味が追加され、それを『サイレントチェンジ』と呼ぶようだ。

 

しかし、一見同じに見えるこの2つのタイプの変更には大きな違いがある。

 

「予告なく仕様を変更することがあります」には、明確な意図があり、事態はきちんと把握されてるが、サイレントチェンジは明確な意図はあるのだが、その意図が隠されているのだ。

 

ことばだとわかりづらいので図を引用すると、

 

「『サイレントチェンジ』被害を防ぐために」(視点・論点) 2017年12月05日

そもそもサイレントチェンジとはどんなことなのでしょうか?サイレントチェンジとは、製造メーカが知らない間に部品や素材を発注している二次や三次サプライヤーなどの取引先の企業により、許可なく、いつの間にか、静かに、材料の組成や材質などが変えられてしまうことです。それが事故につながるから恐ろしいのです。

 

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値段が高い商品には有名なブランドが付いていて、それが信頼を意味していたが、これからはそうとはいえないようだ。

 

上記のNHKの番組の中では、サイレントチェンジを起こさせないためには、グローバル化の反対の、かつての日本企業お得意の下請けの系列化のようなことが上げられていたことが皮肉な現実だ。

 

事例の一つとして取り上げられているACアダプタは、2015年に日経ビジネスでも取り上げている。

 

皮肉はもう一点あり、従来の構造では、一番弱いところが火元になることで、力関係で一番弱い企業による逆襲でもあり、通販全盛時代の配送業者とダブる。

 

 

サイレントチェンジは、モノだけではない。

 

「本規約は事前予告なく変更されます」 こう宣言すれば「一方的な規約変更」もOK?

通信販売やネットバンキング、旅行の予約など、インターネット上で様々な手続きや買い物ができる便利な時代となった。

そうしたサービスを利用する際、必ず求められるのが「利用規約への同意」だ。読み飛ばす人がほとんどだろうが、よく読んでみると気になる一文が目に止まることもある。たとえば「本規約は、事前の予告なしに変更されることがあります」という表記だ。

 

この話題は、弁護士サイトで取り上げていたもので、弁護士的には「No」と言いたそうだが実際にはグレーのようで、ケースバイケースとなりそうだ。

 

このような予防線(言い訳?)が張られるようになったのは、1995年に施行された製造物責任法(PL法)以降のような気がする。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/製造物責任法

製造業者等は、引き渡した製造物欠陥により他人の生命、身体又は財産を侵害したときは、これによって生じた損害賠償をする責めに任ずる。ただし、欠陥の存在、欠陥と損害との間の因果関係については、被害者側に証明責任があり、加害者側である製造者等に証明責任を転換する立法はされていないことに注意が必要である。

 

被害者側に立証責任が課されているため、”予告なく仕様を変更することがあります”ということばで逃げられると考えていることが伺える。

 

これらの問題は、動機はコスト削減による原価低減が目的だろうが、実行させてしまうのはコミュニケーションが不足する、もしくはコミュニケーションがすれ違っているからだろうことが想像できる。

 

これからの時代は、弱者であるほど被害にあってはいけない。

 

被害者が弱者であるならば、ほぼ確実に守ってもらえないからだ。

 

エンドユーザーを保護する仕組みはいくつもあるが、建前上のものだと考えていたほうが良い。

 

 

そして、被害の多くがコミュニケーションに起因して起きる。

 

被害に合わないためには、正論で武装しても意味がない。

 

問われるのはリテラシーだ。