政治における浮動票のように、その存在はあるのに、そこにリーチできない、そんな層がどの分野でも増えている。
そういう時、とりあえずその答えをインターネットやSNSのせいにする。
ソーシャルメディアは社会を分裂させる恐れ=オバマ前米大統領
Reuters 2017/12/28
インタビューでオバマ氏は「指導的立場にいるわれわれはみな、インターネット上で共有できる場を再現する方法を模索しなければならない」と述べた。「インターネットの危険の一つは、それぞれが全く異なる現実を持っていることだ。偏った見方を強化するような情報に囲まれて満足しきってしまう可能性がある」と指摘した。
大勢(体制でも意味は通じる)側から見ると少数側はその存在がなかなか認識されないし、少数と言っても総数で言うと大勢側と数で言うとさほど差がないことも多い。
少数側の特徴は、一塊にならないところにある。
だからだろうが、この少数側に情報をリーチさせるには工夫が必要になる。
下記の記事は9ヶ月前のものだが、広告業界の内部では多少の変化があるかもしれないが、一般人にとっては状況は変わってないように感じる。
ターゲティング広告は死に、次世代の「テレビCM」がFacebookやGoogleを駆逐する
ターゲットを絞り込みすぎることの問題は、広告主が最も見込みの高い顧客を求めるあまり、潜在的な顧客がほかにいる可能性を無視してしまうリスクがあることだ。
従来のように、キーワードとなる共通の一言があるようで、無くなっている。
キーワードが有効であれば、ことばでアピールできるので広告や宣伝が有効になるが、そうでなければ別の指標が自然と出来上がる。
コスメレビューは「語彙力がない」ほうが良い。コスメアプリで「評論より感動」を重視する20代女子の話と、可愛くないアイコンは「まとめる」の隠された意味。
コスメってパッケージを見ただけじゃ「それが良いのか悪いのか」ってわからないから。
買うまえに評判をチェックする必要があって。
今度、お店の化粧品売り場にいったら、周りを見てみてくださいよ。女の子がスマホで何かを調べてますから。それ、みんな評判をみてるんですよ。
むしろ「なにも調べないで買う人」って、いまめっちゃ少ないと思いますよ。
知ってる人からしか買わない、納得できる情報でしか動かない、調べてなさそうに見えるが調べている。
全てが同じことを指している。
買わなければわからない使い勝手のようなものを、買う前に知りたがっているのだ。
そうなるのは、多くの人が自分なりにスペックを調べて選んだのに、失敗したり、時には騙されたと感じるようなことが体験としてあるからだろう。
つまり、売る側の売り込みが買う側に届かなくなっているのだ。
社会が成熟し成長が止まると市場は、買い手市場になり消費者が強くなる。
そんな消費者が、内向きの行動を取っている。
要するに、みたいものだけみるインターネットは閉じこもっていく、という主張である。
世論操作は、ネットという「つながり」の空間に政治的フィルターを貼り、社会を内にこもらせている。
内向きの社会になると、組織力よりもカリスマ性のある個の力の方が強くなる。
商品にユーザー像としてのペルソナが求められるが、情報を発する場合も、誰に届けたいのかという意味でペルソナが問われるようになる。
今さら聞けない!「ペルソナとは」基礎知識とその重要性について
ターゲットは人物像をやや幅を持たせて設定するのに対し、ペルソナは人物像をリアルに設定していきます。
無料で提供される情報の場合、無意識のうちに不特定多数に向けて発信する、読む人や見る人は多ければ多いほど良いと考えるからだ。
情報には、個人の考えを示してるようでいて、実際は組織や団体の考えを代弁してるものもたくさんある。
ほんまコレ。日本の大手メディアの「ジャーナリスト」は多くが社畜リーマン。>青臭いことを言えば、ジャーナリストとは、ペンひとつで世界を変えられる人種です。それなのに、個でなくてどうする?という話です...https://t.co/3GPXB8hyu4 #NewsPicks
— 田端 信太郎 (@tabbata) 2017年12月27日
政治やビジネス以外の場では、個のパワーがものを言い始めている。
あと一歩で美貌に恵まれなかったちょいブスは、すべてのランクのなかで恋愛においてもっとも戦略家となります。
そして大抵の男はそれを見抜けません。
「このくらいのレベルなら俺でもいけるだろう」
だいたいの男がそう思うのです。
またちょいブス女性は男にそう思わせるのが得意です。
個の場では、男であるか女であるかによって強いられる闘いの種類が違っている。
藤沢: ええ。この図は、男が100人、女が100人の村があったとして、それぞれ魅力で順位を付けることができると仮定した場合の、各順位の男女の「モテ度」を表したものです。
魅力は、男なら経済力でもルックスでも何でもいいですし、女ならルックスや若さでもいい。じつは、何が魅力なのか?というのは非常に難しい問題ですが、ここではそこには立ち入らず、単純にとにかく何らかの魅力の指標で順位を付けられると仮定します。
このグラフは、男と女の恋愛市場における立場の違いを表しているのだが、このグラフの男性のカーブが、新時代の争いを示すものになるだろう。
恋愛以外の分野では男女差はないはず。
直線的な女性のカーブは、昭和の価値観に近いだろう。
ただ浮かれてるだけのように語られる『リア充』や『インスタ映え』は、実は新種の熾烈なポジション争いなのだ。
この争いは女性の方が活発に見えるのは、恋愛だけに頼れないことを自覚してるからだろう。
確実に時代は新しい方向に向かっているが、現在は”昭和の価値観”と”平成の価値観”と”新時代の価値観”の3つが混在し、それぞれが雄弁に主義主張を展開している。
受け身で聞くとどれも正しい話に聞こえるだろうことが悩ましい。