違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

『どこの誰か』がわかることの価値

当たり前だと思ってることには疑問を持たない。

 

だから、当たり前だと思ってることには"ありがたみ"を感じない。

 

昭和に成人した人の多くは、関係のスタートに『どこの誰か』を確認し合うのは当たり前だった。

 

そんな当り前であるがゆえに気にしてなかったことを気にするようになったのは、送り主に心当たりがないダイレクトメールが来るようになったからだ。

 

単身世帯以外は、ほぼすべての電話所有者は電話帳に記載されることを望んでいたので、やみくもに送るダイレクトメールで構わなければ、電話帳から名前と住所を拾ったと考えられるが、中には家族構成を理解してると思われるものも出始めた。

 

やがて、名簿業者と言うのが介在してることが知れ渡る。

 

この辺から、住所氏名、家族構成を知られるのが気持ち悪いという感情を世間が共有するようになって行った。

 

自分の情報を隠すということがおかしなことではなくなった。

 

昭和の頃は、"悪いことをしてなければ知られても構わない"と考えられていた個人情報や家族情報はやがて、"痛くない腹を探られたくなければ知られないようにしろ"となった。

 

昔から、"知られたくない"というのは悪人や犯罪者特有の心理だったが、善良な一般人も同じメンタリティを持つようになった。

 

隠れてコソコソするわけではないが、"知られたくない"と思いながら行動する人が増えると、"見えない相手"が増えてくる。

 

推理小説ならば、昔は被害者と加害者の間にどこの誰かを理解できている人間関係が明らかに存在することが多かったが、いつの頃からかどこの誰かを理解できないで発生する人間関係に基いて犯罪が構成されるのは当り前になってきた。

 

"見えない相手"を相手にすることは実は結構難しい。

 

感情の向け先が定まらないからだ。

 

だから、感情の向け先を見える相手にズラすことがある。

 

たむらけんじ批判に反論「泥棒は何も非難されへん」

“芸人仮想通貨界の黒幕”とささやかれているたむらが、仮想通貨取引所大手「コインチェック」から約580億円分の仮想通貨「NEM(ネム)」が流出した騒動について言及した。多くの芸人に仮想通貨を勧めていたため、流出による被害の“元凶”扱いを受けているたむらは「仮想通貨盗んだ人のこと悪く言う人って少ないですよね? 俺の方が悪いみたいになってるじゃないですか? 俺何にもしてへんしすっげぇ怖いなって思います。泥棒が何にも非難されへんておかしいから」と心境を吐露。「僕はあの時の批判ていうのは、芯のない批判だと思います」と自身を批判した人々を一刀両断した。

 

募金も相手が見えにくいので詐欺の舞台になりやすい。

 

駅前に出没、フィリピン系「ニセ募金ボランティア」を追う。あの許可証は本物? 2017/5/19

駅前や繁華街に出没する東南アジア系の募金集団を見かけたことはあるだろうか? SNS上では「詐欺」「ニセ募金」と指摘されているが、果たしてその実態は? 記者が街に出てその正体を調べてみた!!

 

「わたしたちはアジアのめぐまれないこどもの、ためにかつどうしている。ボランティアです。よろしければしょめいとぼきんをおねがいします」(原文ママ)

 

この手の行為には二つの"見えにくい"が存在する。

 

募金を募っている人たちの"素性"が見えにくいと言うのが一つで、もう一つは"募金の行き先(実際の使われ方)"が本当はよく見えないだ。

 

募金に応じて支払う人は、良いことをしたという満足感を得るだろうが、募金がどう使われるかを確認するわけではない、募金が詐欺だった場合最も怒ってよいはずだが、彼らが怒ることはないだろう。

 

"見えない相手"には感情が湧かないからだ。

 

募金詐欺にあった被害者は、むしろ詐欺をあばいた人に対して、余計なことしやがってと不快に思うかもしれない。

 

"見えない相手"が、"表に出ない首謀者"であることを意味する"黒幕"である場合も、二つの"見えにくい"が存在する。

 

実行部隊である現場の人間は、匿名もしくは架空名義で行動することで"見えにくさ"を作り、更に実行部隊と黒幕が直接接触しないことで真相がカムフラージュされる。

 

 

このようなことを考えていたら、実行部隊と黒幕の関係は、最近良く話題になるサブリース問題における物件オーナーと不動産会社の関係に似てる気がしてきた。

 

違いから先に示すと。

 

詐欺の場合、実行部隊は客を騙すが、それはそもそも最初から犯罪だからで、サブリースの場合物件オーナーは基本入居者である客を騙したりはしない。

 

詐欺の場合、客と実行部隊の間で揉め事は発生するが、実行部隊と黒幕の間では基本揉め事は発生しない。

 

黒幕は、実行部隊を恐怖で支配してるからだ。

 

サブリースの場合、客(入居者)と物件オーナーの間では些細な問題しか発生しないが、オーナーと不動産会社の間では大きな問題が発生している。

 

そして、サブリースの問題とFCビジネスの問題もほとんど同じだ。

 

サブリースやFCビジネスが、物件オーナーや加盟店との間で、収益を巡っての持続可能性に関して問題を起こしている。

 

看板やノウハウに対する上納システムに対する不満が常に起きている。

 

物件オーナーや加盟店は、個人もしくは中小零細業者であることが多いが、それに対し不動産会社やFC本部は規模も大きく社員数も多い。

 

契約に基づく行為は、文言上は対等な取引になるが、介在する人や部署の複雑さが障害になり、個人や零細業者から見ると、大企業という存在は匿名性を帯びてくる。

 

大企業は逃げも隠れもしないが、匿名性が生まれると途端に『どこの誰か』が見えなくなる。

 

だから、物件オーナーや加盟店は交渉に無力感を感じるだろう。

 

いつの時代でも、身の丈に合うということは重要になる。

 

そして、こんな時代だからこそ、『どこの誰か』が大事になるが、時代に合ったやり方が必要だ。

 

ほんとうの意味で『どこの誰か』がわかるとは、その人の考え方や感じ方を知っているということを意味する。

 

ことばは嘘をつくが、嘘ばかりつくことは出来ない。

 

また、嘘をつく必要がなければ、嘘はつかない。

 

意見や考えを発信することの価値は、『どこの誰』の先にある考え方や感じ方を、知ってもらうことの価値だ。

 

発信する回数が多いほど、嘘はつけないし、おかしなことはすぐバレる。

 

匿名で発信していても、そこに人間性は出て来る。

 

どんな発信をしてるかも重要だが、発信してないことが最も不利になるだろう。

 

どうでもよさそうな些細な違いで、ついていく差が大きくなる。