世間では"インスタ映え"など、写真で表現することが流行っている。
一種時の流行かも知れないが、わたしも写真を上手に写したいという願望がある。
しかし、撮れば撮るほど自分の下手さにうんざりする。
所詮自己満足なのだから、それなりの満足など簡単に得られると思っていたが、なかなかそうは行かない。
一言で言うと、"思い"と"写真"が一致しない。
写真集やネット検索で良いなと感じる写真を、自分が撮るには何が足りないのだろうかとよく考える。
カメラ本体の性能をあげつらうとキリがないので、そこは除くと。
・被写体との出会い
・構図の決め方
・テクニック(光をどう捉えるか、カメラ本体の設定など)
・工夫
こういうことが浮かぶが、なんだか言い足りないことがあるような気がしていた。
そして、ひょんなことから足りないのはこれかもと思い至った。
ボケーっとして、ウトウトしてる時にふと俳句が浮かんだ。
痩蛙負けるな一茶ここにあり
雀の子そこのけそこのけお馬が通る
ウトウトしている頭のなかにかわいらしい映像が浮かんでハッとした目が覚めた。
たった一枚の写真にもストーリーが必要なんだと思った。
頭に浮かんだ俳句は、どちらも小林一茶のものだ。
小林一茶(こばやしいっさ)の俳句は、雀やカエル、子供など、力の弱い小さい者への愛情を表したものが多いのが特徴です。
俳句には一読しただけでは意味がわからない難解なものもありますが、一茶の句はわかりやすく親しみやすいです。この独自の俳風は「一茶調」と呼ばれます。
また、彼は二万句という非常にたくさんの句を残しています。松尾芭蕉が約千句であることと比べると、いかに多作であったかわかります。
我と来て遊べや親のない雀
(われてときて あそべやおやの ないすずめ)
初夢に古郷を見て涙かな
(はつゆめに ふるさとをみて なみだかな)
夕桜家ある人はとく帰る
(ゆうざくら いえあるひとは とくかえる)
絵はがきのような世界観が感じられる。
短い言葉で添えられたストーリーが感じられると、映像に意味が感じられるようになる。
こういう気持ちで、被写体を探す必要があるんだなと納得。
そう言えば、岡本太郎はこんなことを言っていた。
『絵は、どんなにデフォルメしても、自分の分際でしかない。
写真は、自分が想像してなかった、
自分を超えたものが出る。
そういうチャンスをうんと持てる人間が強いんだ』
ところで、改めて検索すると、小林一茶は不幸な人生を歩んだと出て来る。
だから、不幸な自分を弱者に重ねて句を読んでいると出て来る。
小林一茶にまつわる不幸な逸話6選!彼にまつわる5冊の本も紹介
小林一茶の俳句は、世間と戦い続けた彼の人生に根ざしています。
その人生を知っていただくことで彼の俳句がなぜ優しいのか、また、どうしてそのような俳句が生まれたのかがよくわかるでしょう。
この記事が、彼の俳句にに深く触れていただくきっかけとなれば幸いです。
一茶は言われるように不幸だったのだろうか?
そうではないような気がする。
他人から見て幸せそうに見えなくても、弱者に優しい気持ちを持てる人は、きっと幸せなはずだと思う。
一茶は幸せだったと思いたい。