地球環境の変化だけではなく、少子化をはじめ、持続可能性が語られる事が何かと多い最近だが、それに連れて世間では生き方にも変化が現れてきている。
頑張っても成功できないなら省エネで」中国で「仏系青年」大流行 ——由来は日本の「仏男子」 2018/4/5
中国メディアによると、「仏系青年」の由来は、日本で2014年に登場した「仏男子」という言葉だという。
「草食男子を通り越し、草も食べない一人が大好きな男子」という意味で、日本ではそれほど流行しなかったが、中国メディアは同年、日本の女性ファッション誌の特集ページ「イマドキ仏男子を攻略せよ‼」を写真付きで紹介し、「日本に新しい属性の男性が登場した」と報じた。
その後3年余りを経て、「中国でも仏系男子が現れた」とSNSでつぶやかれ、流行語になったというわけだ。
"仏系"、こんな言葉があるなんて知らなかった。
最近の日本は世界から遅れ、中国は凄く発展を続けてるというトーンの記事は多いが、上記の記事を読むと、中国人の生き方に日本人の生き方が大きく影響を与えていることがわかるし、日本で起きてることが数年の時間差の後で中国でも起きてることが想像できる。
日本が遅れてるように見えるのは、経済指標や従来の尺度に照らし合わせた時の話であって、実は日本が一足先に新しい何かに直面してるのかもしれない。
だから、従来の価値基準を求める人には日本は魅力を感じないかもしれないが、日本で起きてることはいづれ世界中で起きるとすれば、今日本で起きてることは要注目となる。
モノ余り時代の商品企画は「自分がほしい」で勝負する 2018/4/5
今の世の中は満ち足りていて、生活の中で新たに必要なものがなくなってきている。これまでは、「共働きの家庭の多くで、洗濯機は夜回す。だから音の静かな洗濯機が売れる」というように、目の前の問題を解決する商品を出せばよかったけれど、これからはそう単純にはいかないでしょう。
僕は、自分が「ほしい」と思ったものは、自分に嘘さえつかなければ、100%信じられると考えています。というか、それしかよりどころがないと言ったほうが正確でしょうか…。
自分に嘘をつかなければ、その感情は「事実」です。その企画のユーザーがいるということに確信を持ち、人の欲求を強烈につかむ企画を作っていけばいい。僕はそう考えてモノを作っています。
皆が同じように反応し、大ヒットすることは例外的なことになるのだろう。
多くの人が共感しても、その共感に基いて行動するわけではない。
日本人が1億2000万人いる中で、1万人に刺さるものをコンスタンスに出し続けることの方が、今は大事というか。
個人が発する情報にも様々あるが、"共感"がキーワードだと言われるが、自分に嘘をつきながら行う人も多い。
「FB疲れた、もうやめたい……」ママ友トラブル続出? 2018/4/8
FBは、学生のように背負う役割が少ない人間が、自分の交友関係を「ドヤ」と見せてよりよい出会いを追求するような目的には大変合致している。
同じように、何らかのビジネスを立ち上げた人間が、そのビジネスで利益をあげるべく人々に認知させていくような目的にも合致している。
つまり、狭く明確な利益と、それを追求しようとする欲望があって初めて、有効に機能するSNSなのだ。
FBが普及し始めたとき、鋭い人はすでに「ミクシィの既視感」と指摘し、その行く末を言い当てていた。
匿名登録が許されていたミクシィよりFBがさらにややこしいのは、リアルな人間関係をもとに構築されていながら、それぞれの変にネット的なもの言いや顔が流れ込むSNSだということだ。
外の顔と、内側の変にウェットな部分が画面上で一緒に出てくることを承知で見ていないと、違和感があるのは当たり前。
正直日本みたいに本音とタテマエを使い分ける社会なら一層「えっ、そんなこと考えてたの?」と人間不信になる一因である。
多くの人と分かち合えるのが"共感"だったが、その共感も少数精鋭化し、分かり合えるということが貴重になるのかもしれない。
世の中は、理系がリードするようになってきた、現在の経済学は数学になり、イノベーションはプログラムが可能にするようになってきた。
文系分野では法律を武器にすることのみもてはやされている。
他の文系分野や、理系でも地道に時間を掛ける基礎分野は、蔑ろにされる傾向がある。
しかし、人間が生きている限り、人生はいやでも文学的になる。
死という出口に向かって生き続けることの難しさ。でも、だから他者が愛しい(文月悠光) 『じっと手を見る』(窪美澄)を読んで<じっと手を見る>
懐かしいフードコートの前を通り過ぎながら、小さく予感した。
自分の人生のすべて、生き方に納得なんてしていない。
どうしてこうなるのか、とうんざりするばかりで、気を抜けばすぐ惰性に飲まれてしまう。
何度刈り取っても、絡め取られる。
死という出口に向かって、ただ生き続ける。
それだけのことが、こんなにも難しく、途方もなく滑稽だ。
でも、そのことを受け入れた分、他者が愛おしくなる。
私たちは、ゼロから生き直すことはできない。
情けない過去、逃げ切れない自分の嫌な部分――そんな荒れ果てた地から、ひっそりと再生を試みるのだ。
はびこる緑をもう刈り取ることはしない。
ひとりでに茂り、枯れるに任せておけばいい。
そんな芯の強いたくましさをこの胸に育てていきたい。
急速に理系が舵を取った世の中には、文学的なものが不足していて、世間が乾ききっているのかもしれない。
冒頭で引用したように"仏系青年"が現れだした中国だが、それとは正反対に世界を圧倒する力を持ってる面も健在だ。
「ベンツ」の筆頭株主が吉利に、中国マネーの不穏な動き 2018/4/9
今回、吉利が取得したダイムラー株は“株式市場に出回っている株”を“通常の手続き”によって買い集めたものである。
かつて吉利はダイムラーへの資本参加を打診したが、そのときはダイムラー側が断っている。
しかし吉利はダイムラーへの資本参加を虎視眈々(こしたんたん)と狙っていた。
一方、昨年末時点でのダイムラーの筆頭株主はクウェート投資庁(KIA)だった。
現在でも約6.8%の株を保有する。
約3.08%を保有するルノー・日産アライアンスがこれに続き、
残りの約90%のうち機関投資家が保有する株は約70.7%、
個人投資家の保有率は19.4%という状況だ。
数学ばかりが幅を利かせてきた投資の世界にも持続可能性が尺度として芽生え始めている。
2500兆円超え!?世界で急拡大“ESG投資”とは 2017/9/27
アビバ・インベスターズ 最高投資責任者 スティーブ・ウェイグッド氏
「人権問題を放っておくのは危険です。不祥事などが起こり、業績が悪化する事例も数多くありました。
ランクが低い企業が1年たっても改善しない場合は、恥をかくことになるでしょう。」
環境、社会性、ガバナンスの頭文字をとったESG。
投資判断として、財務諸表ではなく、ESG要素を考慮する投資を「ESG投資」と呼び、
2006年アナン国連事務総長(当時)が機関投資家に呼びかけたことでも話題になり、
2014年に大手機関投資家のロックフェラー・ブラザーズ・ファンドが、化石燃料への投資から撤退すると発表した例や、
2015年ノルウェー政府年金基金が、利益を石炭に依存する企業への投資をやめると発表した例などがある。
世界の自動車業界が一斉にEV(電気自動車)にシフトを打ち出した背景には、変化しだした投資家の意向が反映されている。
数学が支配した世界でも、文学を無視できなくなってきたようだ。
そんなESG投資が現在最も注目してるのが、2020年の東京オリンピックに向けての日本の動きだ。
温かい目ではなく、厳しい目が注がれている。
自発的に変わる力が弱い日本にとって、世界から向けられるこの厳しい目は、動かない日本の旧い体質を動かすかもしれない、変化が起きることを望む日本国民にとっては良いことにつながるかもしれない。
持続可能であることが何よりも重要になっている。