この本は、12のキーワードに基づき構成されている。
今回はそのキーワードの7〜9について、書いてあることを踏まえ、私が感じたことを書いてみたい。
7.FILTERING 選別する
12のキーワードの中で私が個人的に一番興味があるのがこれ。
情報を取捨選択するための"ふるい"として機能するものの名前として上げられているのが、ゲートキーパー、仲介者、キュレーター、ブランド、政府、文化的環境、友人、われわれ(=自分自身)の8つ。
しかし、あまりにも増えすぎたコンテンツを捌くためのフィルターとしては不十分だ。
膨大な選択肢からより好みに合うものを選ぶためのフィルタリングは大いに期待される一方で、強制的に選択肢を狭められる"検閲"のようなフィルタリングは嫌われる。
人間の目から見ると、フィルターはコンテンツに注目してるように見えるが、
コンテンツの側からすると、フィルターは人間の注意(アテンション)に注目してるように見える。
情報の潤沢さは、アテンションの貧困を生み出す。
日本とアメリカでは大きな違いがあるのが、"経験をデザインする分野"で、具体的に上げられてるのは、保育や医療や介護分野におけるアシスト的マンパワーに対する評価で、アメリカではこの分野の単価は急激に伸びているのに、日本では元々低い単価が削減対象にすらなるくらいだ。
日本で生活する日本人は、我々が持っている常識もかなりガラパゴスで、世界の常識と大きく乖離してるかもしれないということを意識する必要があるだろう。
コモディティ化しない能力とコモディティな能力を区別するフィルターが、まだ日本には存在してないのかもしれない。
嘆いてもしょうがないが、フィルターの問題ならば解決可能な気はする。
自分自身の内側でも外側でも構わないが、良いフィルターをもつことが非常に重要になるだろう。
フィルターが違いすぎると、人はお互いを理解できなくなる。
最近、そういう事例はますます増えている。
8.REMIXING リミックスする
あまり琴線に触れることはなかった。
デジタルデータは、加工可能なものが多く、編集することが出来る。
だから、決して完成形にならず、ずっと編集され続ける存在にもなりうる。
"1.なっていく"を強く支えるデジタルの特徴である。
9.INTERACTING 相互作用する
未来を語る話の中に出てくる"INTERACTING 相互作用する"に関する話は、案外わかりづらい。
それは、今はない(できない)話だったりするからだ。
ここで語られてることは、VR技術が高度になっていく話などを事例に展開されているが、あくまでも大事なことは人間の感情や情動であることには代わりが無さそうなので、少し違う解釈をしてみた。
相互作用とは、自分と相手が互いに影響し合うと捉えれば、リアルな関係の中では当り前の話だ。
ことさらに相互作用を取り上げるということは、仮想世界を前提にしてるからで、この場合の仮想世界は、インターネットを含むネットワークで繋がった世界だ。
ネットの世界で相互につながることは当り前過ぎて、敢えて考えるとむしろ拍子抜けだ。
そのように考え始めると、"インスタ映え"や"リア充"あるいは過剰に"いいね"を求める気持ちは、瞬時の情報の双方向化が可能になったことが関係してるだろうという意味で相互作用の賜物かもと思えてくる。
インスタ映えもリア充も明確な定義付けが為されたことばではなく、"空気"を示すことばとして広まった。
その意味合いが話題になることはあっても、その背景が話題になることは少ない。
情報の双方向性が生み出す"相互作用"が、コミュニケーションに多様性を与えることになったのだ。
多様性というよりも、"なりたい自分"の疑似体験と言った方が良いかもしれない。
インスタ映えやリア充は、発信する側と受信する側のどちらにも、"なりたい自分"と"現実の自分"の隙間を埋める仮想性が背景にあるのかもしれない。
おもしろいのは、実際に写真に撮っているのだから現実であるにもかかわらず仮想性が演出されることだ。
映像や画像を通じての他人とのコミュニケーションなのに、自分の夢や希望や理想を疑似体験するようなことが起きていることに、多くの人はあまり自覚を持っていない。
これは、何を意味してるかというと、従来コミュニケーションと言うのは、"人間と人間"あるいは"人間とペットや動物"のように感情や気持ちを持っている相手との間に成立するものだったが、デジタルデバイスと通信ネットワークが発達することで、人間はデジタルデータとコミュニケーションを取るようになり、そこに感情が芽生えることに気付いたのだ、そんな自覚は無いかもしれないが。
写真に関しては、昔から芸能人など憧れの対象とすることはあったが、そういう場合は外見を意識することが多かったが、昔は芸能人が自分で自分の写真を撮っているわけではないのでデータの流れは一方通行だった。
現代は誰でも写真を撮り発表することができ、写真を通してライフスタイルを表現するようになった。
ライフスタイルは見せるものとなり、評価の対象になるというシフトが起きた。
写真という単なるデータが、相互作用の結果、生き方に影響するようになった。
この相互作用について考えていたら思い出したのが、タレントの武井壮の話。
武井壮は、コンディションとパフォーマンスに体温が大きく関係してると主張する。
彼の発言にはおもしろいものがたくさんある、若干披露すると、
室伏広治の投擲の重心がいつもより少しだけ高い気がする。。筋力が落ちているのか体温が少しだけ低いのか。。もう2センチくらい低くなったら一発ハマる気がする。。。。する。。。。。。
— 武井壮 (@sosotakei) August 5, 2012
走るスピードなんて体温が0.1℃下がっただけでも変わるのよ。。なのにそんなこと気にした事も調べた事もないアスリートや指導者が多過ぎる。。スポーツで成功したいなら、アスリートの努力を試合の時の『調子』とかいう偶然に左右させないような知識を持つべき。。
— 武井壮 (@sosotakei) June 6, 2017
体温を通じて、理想の自分と現実の自分がコミュニケーションを取っていると私には見えた。
ただ眺めるだけだったら単なるデジタルデータで終わるが、そこに相互作用のコミュニケーションが成立すると、知らなかった自分自身が見えてくるようになるのだろう。
ここで語られてる相互作用は、五感を使って気付いたり、感じたりすることの補完だと感じる。
未来を語る話も、よく見ていくと、コロンブスの卵のような温故知新が匂い始める気がする。
ここまで書きながら改めて感じるのは、思考やコミュニケーションの原点には、常にことばがあるということだ。
未来を語る話に、なぜ既視感のある温故知新を感じるかということに思いを馳せると、人間は文字やことばを超えるコミュニケーションをまだ持ってないんだと気付く。
音楽の世界にデジタルが進出し、ソースとしての音源がデジタル化し、デジタル化された音楽信号はデジタルアンプで増幅されるが、最後にスピーカーから出る瞬間だけはアナログな存在となる。
音が最後はデジタルであることができないように、ことばも最後の部分はデジタル化できないのかもしれない。
人間の脳力を大きく超えるであろうAI(人工知能)は、"人間とは何か?"の追求からスタートしている。
AIは、どこまでも進歩するかもしれないが、導いた答えはことばで表現するしかないとすれば、インターネットの次がどうなろうと、人間はアナログな領域で悩む生き物なのかもしれない。
また、自分がどのフィルターを用いることが良いのかは考えようとするが、自分がどんなフィルターで選別されてるかはあまり考えないかもしれない。
人生が思ったとおりにならないのは、今も昔も同じということだし、未来も対して変わらない気がする。