違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

ワールドカップに感じる、にわかファン!

今回のサッカーワールドカップは、直前に監督交代などのドタバタもあり、始まる前は冷めた目で見られていた。

 

だから、こんな見出しの記事が珍しくなかった。

 

サッカーW杯っていつやるの? 日本が「驚くほど盛り上がらない」理由 2018/06/12

 

 

Google Trendsで直近90日で見てみると、

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実際に直前まで盛り上がってないことが分かる。

 

念の為、"サッカー"を加えて比較すると、

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やっぱり、ワールドカップは直前になるまで盛り上がってなかったようだ。

 

 

しかし、初戦は夜9時試合開始ということもあり、視聴率は凄いことになった。

 

日本戦、瞬間最高視聴率55.4%=平均は48.7%-サッカーW杯 時事ドットコム 2018/06/20

 

 

第2戦は、放送が日曜の深夜だったにも関わらず、

 

セネガル戦視聴率30.9%=瞬間最高は37.1%-サッカーW杯 時事ドットコム 2018/06/25

 

なぜワールドカップは盛り上がるのだろうか?

 

今年だけではなく、毎回だ。

 

取り上げられるテーマとしては、

 

にわかファンはなぜ増える?

 

答えとして上がるものもほぼ毎回同じ。

 

・家族や友人の影響

 

・盛り上がれれば何でも良い(騒ぎたい、ストレス発散)

 

オリンピックと同じく開催は4年に1度で、国を背負って戦う。

 

プロ野球や高校野球をはじめ日本のスポーツには、地域を代表するという意味での地元愛に根ざしてることが人気の原因だと感じるものがある。

 

日常生活の中では、身近な人がライバルだったり、競争相手だったり、敵だったりすることが珍しくない現代では、スポーツ観戦は、数少ない大勢の人が気持ちを一つにできそうなイベントなのだ。

 

地元愛が、愛国心に少し拡大するのがオリンピックでありワールドカップだとすると、求めてるのは気持ちの一体感かもしれない。

 

共感の時代とよく言われるが、心から共感することがどのくらいあるだろうか?

 

オリンピックやワールドカップで、応援をしているうちに気持ちが一つになることには、何の利害も絡まない。

 

今の時代は、自分のことだけ考えることが多く、利害が絡まないことで心の底から他人と喜びを分かち合うようなことが少なくなっている。

 

にわかファンが増えるワールドカップだが、純粋なサッカーファンとは求めてるものが違う。

 

だから、純粋なサッカーファンには、こう見える。

 

明石家さんまが日本代表だけを応援する「にわかサッカーファン」に苦言 「日本代表が世界と戦うのが好きなんやろ?サッカーは好きじゃないのよね」 2014年6月19日

それを受けて道重は「日本人として日本を応援したいです」と頑固にコメントすると、さんまは「おまえも敗戦国日本を背負ってるねえ。日本が世界と戦うのが好きなんだ」と感想を述べた。それに対し、道重は「感動しますね」とあくまで日本チームファンとして一言を添えた。

しかし、ファン歴が長いことが偉いわけではなければ、応援の仕方にも多様性があっても構わないと言う考え方もある。 

 

"にわか"という言葉は反感を買いやすそうな言葉だと分かるが、それは純粋なファンの目には喜ぶ(=はしゃぐ、騒ぐ)ポイントがズレてるように見えるからみたいだが、純粋なファンは、ゲーム展開を見て一喜一憂するのに対し、にわかファンは、その他大勢のファンの反応に一喜一憂してることが多そうだ。

 

にわかファンは、観戦のリテラシーが身に付いてないので、一生懸命その場に溶け込もうとする。

 

 

にわかファンが求めているのは、『一体感』だ。