時間の経過とともに変化するものがある。
単なる好みの変化のつもりが、やがてライフスタイルの変化につながることがある。
知る人ぞ知るマイナーなものが好きで、誰もが気付いてない良さをいち早く楽しめていることに価値を感じるような人は、その存在がメジャーになり、誰もが知るようになると、あんなに好きだったのに愛が冷めてしまうことがある。
最初は、そんな変化に自分が戸惑うが、やがてそれが自分の性癖だと理解できる。
食の好き嫌いにも変化が訪れることがある。
大好きだった食材が食べれなくなったり、逆に苦手だった食材が大丈夫になったり、こんな変化は味にも当てはまることがある。
甘いものが好きだったのに苦手になったり、辛いものが苦手だったのに好きになったり、この逆もある。
こういうのは、好みの変化かもしれないし、体質の変化かもしれない。
はっきりと、何かが変化したことは明らかだが、その理由はよくわからないということは、珍しい話ではない。
"手作り"が何を指すか?
例えばカレーを例に取ると、
カレーのルウが普及し出したのは1950年台。
それまでは、カレーは小麦粉とバターとカレー粉を混ぜてルウを手作りすることから始まっていた。
予め作られたカレールウの普及は、1954年にエスビー食品が作った固形タイプを即席カレーとして売出して以降とされ、その頃からしばらくは、市販のルウを使ってカレーを作ることは手作りとは言われてなかった(らしい)。
しかし、今カレールウでカレーを作ることは、立派な手作りであることに異論を挟む人はいないだろう。
時間の経過が、変化させる価値観がある一方で、時間の経過が、浮かび上がらせる価値観もある。
どちらも、時間の経過を経なければ、その存在に気付きにくいし、気付かないこともある。
20年前の人に言っても信じてもらえないこと「Amazonが日本を支配」「昔の軍艦が大人気」 2018/7/4
20年前の自分と、その当時の周辺環境なんかも思い出しつつ読んでみてほしい。
当時は既にイオングループがジャスコを各地に出店し、商店街が閑散としていた時期だが、Amazonがそのとどめを刺したような形と言える。ネットの買い物は風情や人間味に欠けるという向きもあるが、そもそも買い物は便利であるのが一番。Amazonの出現は、ここ20年のうちにすっかり、日本の消費者に受け入れられている。
改めて考えると、この20年は、何もかもが"情報化"した(に向かった)ような気がする。
ニュースやワイドショー的な話題だけでなく、広い意味での鑑賞の対象だったことまでもが情報化していったような気がする。
鑑賞することを楽しんでいた時代には、鑑賞の対象にじっくりと時間を掛け、何を感じるかを楽しんでいた。
鑑賞の対象に、情報と同じ目線を向けるようになると、知ってるか知らないかだけが関心事になり、何を感じるかはどうでもよくなるとともに、時間を掛けることを嫌がるようになる、読書や映画ですら。
こういうことは、一事が万事となる。
「最近、新しい友人を作りましたか」。筆者がこう周りに聞くと、首を傾げて1人もいないと答える中高年は多い。人は年を取るほど、友人、知人を作りにくくなる。
これは世界共通の傾向のようだ。2016年に発表された論文によれば、友人のネットワークの輪は10代、20代と広がり、25歳をピークに、その後は縮小トレンドに入っていくという。
あなたが友達だと思っていても、相手はそう思っていないかも(研究結果)
その結果、互いに友達だと思っている人の割合が、最も高かった研究は53%、最も低かった研究では34%だった。
時間が経過して、改めて気付くが、「そもそも、友達になりたい人がいるだろうか?」
友達ですら、情報化しているかもしれない。
これらとは別に、時間の経過は関係なく、気付かないこともある。
UMS主義者、かく語りき――衣のユニクロ、住の無印良品、食のサイゼリヤ
楠木建の「好き」と「嫌い」 好き:UMS 嫌い:ブランド物
僕が教えている一橋大学ビジネススクールの国際企業戦略専攻(ICS)はすべての講義を英語で行う。いわゆる「インターナショナルスクール」だ。学生数は1学年50人程度。小規模なブティック型のMBAプログラムである。主たるターゲットは日本人ではなく外国人。大半の学生がアジアを中心とした留学生だ。
彼らにとって日本の魅力とは何か。尋ねてみると、「清潔」「繊細」「安全」「秩序」「配慮」「平穏」「落ち着き」「ゆとり」「控えめ」「静けさ」「内省」といった言葉が返ってくる。要するに成熟である。
こんな"日本の魅力"にぴったりな行動を今年のロシアワールドカップに出場した日本人選手が見せていた。
敗戦直後、日本代表がロッカーに残したメッセージに世界が感動(ワールドカップ)
ロッカールームはきれいに掃除され、美しい状態に保たれている。さらに、入り口側の棚の上にはロシア語で「スパシーバ(ありがとう)」のメッセージが書かれた紙も残されていた。
ピッチ上では涙を見せ、うなだれる選手たちの姿も。悔しい結果となった直後の振る舞いとあって、感動を呼んだようだ。
あえて指摘されると、「ああ、なるほど」と思うことも、指摘されなければ気付かない、いや気付けない。
悪いところや欠点は、指摘されることもあるし、なんとなく自分で気付くことも多いが、美徳的に良いところは、あったとしても指摘されないと全く気付かないことが多い。
このような美徳すら情報化してるとすると、自分の美徳に気付いて意識しなければ、なくしてしまうかもしれない。
しかし、美徳の情報化が進むと、美徳のコーディネートが始まるだろうし、美徳の予定調和化が起こるだろう。
上記のサッカー選手の振る舞いに、コーディネーターやコンサルタントが介入してないことを願いたい。
情報化の波に晒されると、多くのものは消えていくだけになる。
情報化すると、生産性や効率性の対象になる。
大事なものは、情報化の対象にしてはいけない!