違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

これって、日本版「MeToo」?

2年前くらいから盛んに取り沙汰され始めた日本企業の劣化ぶり。

 

その代表格は、2016年当時は三菱重工に代表される三菱グループだった。

 

その当時のことを伝える記事としてこういうものがある。

 

日本企業は劣化したのではなく、もともといい加減だった 2016/4/6

 

 

神戸製鋼のデータ偽装の発覚は2017年で、その後の調査で全社を上げて数十年前からデータ改ざんを行っていたことが明らかになった。

 

また、2013年には食材偽装問題が話題になり、これとは別に食品に記載される情報を偽るという食品偽装問題は、21世気に入って頻繁に話題になるようになっている。

 

これらは、報道の初期段階では、ありえないことが起きたという捉えられ方をするが、経緯が徐々に明らかになると、起きるべくして起きていると思えるものと、そもそも発覚したのは最近だが、ずっと以前からやっていたというものに分かれる。

 

だとするならば、見方を変える必要がある。

 

これまで隠し通せていたことが、隠せなくなっていると捉えた方が良いかもしれない。

 

つまり、今という時代は、見て見ぬふりが成り立つ境目を越え始めているのだ。

 

見て見ぬふりが成り立つためには、二つの可能性が考えられる。

 

・それによって不当に利益を得ている

 

・人間関係を壊したくない(=人間関係から利益を得ている)

 

二つと書いたが、結局は利益に還元されるのかもしれない。

 

 

これらは、発生の経緯は、個別の企業の理由に基づいているが、これらを総合していわゆるビッグデータ的に捉えるならば、根幹は同じなのかもしれない。

 

そういうことを、おそらく多くの日本人が感じてるだろう。

 

最初に不満を感じるのは、利益を得られない側の人たちだろうが、現在は、利益を得てる側の共感も増えているはずだ。

 

人間関係の質が変化してるからだ。

 

企業活動やスポーツの世界では勝つことが求められる。

 

そして、技術や文化ですら勝つことを求められ始めている。

 

これまでは、勝負の世界には、「勝てば官軍負ければ賊軍」という大前提が生きていたが、最近は勝負以前に、『正々堂々(=公明正大)』が求められるようになっている気がする。

 

今年5月に発生した日本大学フェニックス反則タックル問題は、例外的なことが起きたとその時点では捉える人が多かったかもしれない。

 

しかし、問題はそう単純ではなさそうだった。

 

 

 

もう忘れ始めてるかもしれないが、2018年の始まりは相撲界のブラックから始まっている。

 

そして、この2,3日でボクシング界でもアメフトと同じようなことが起きていたことが発覚した。

 

武井壮さんは、このボクシング界でのことを受けてだと思われるが、特にこの件とは明示せずにこんなコメントを発している。

 

 

 

ここに取り上げたものはどれも、それぞれの『界』で起きた話で、全ての登場人物がなんらかの役割を果たしているのだが、現場の問題でありながら、実は指導者が起こした問題だ。

 

これまでは、『何らかの利益』と引き換えに発覚を抑えることができていたが、その『何らかの利益』の効力が無くなっているのかもしれない。

 

『何らかの利益』は、服従や恐怖政治の代償として提供されていて、そのバランスが成立するラインがおそらくあるのだろう。

 

しかし、その成立していたラインが変化し始めたのか、あるいは『何らかの利益』自体が提供されなくなっているのかもしれない。

 

わかりやすいのは、「金の切れ目が縁の切れ目」だ。

 

そう思っているところに、降って湧いたのがこの話題。

 

東京医大“女子減点”事件は氷山の一角、就職試験でも女性差別は横行! なのに高須克弥や“女尊男卑”厨は…

試験に合格しても女性であるというだけで不合格にし、その分、男性の合格者比率を上げる──。

 

あちこちから膿が出ているような日本に見えるし、日本というシン・ゴジラが断末魔の悲鳴を上げてるようにも見える。

 

ビジネス界、スポーツ界、さあ次はどんな『界』から膿が出るのだろうか?

 

各界から膿が出るこの姿は、日本版#MeToo運動と言えるかもしれない。

 

 

もう我慢しないぞ!