夏の終わりになると必ず出てくる話題がある。
精神科医"9月1日に自殺する子供の心理" "加害者"の名前を遺書に書くワケ
自殺を考えるまで追い詰められる人が陥る心理5
(1)孤立感
(2)所属感の減弱
(3)無価値感
(4)窮状が永遠に続く恐怖
(5)心理的視野狭窄
追い詰められる人の根底に「強い怒り」が潜む
この話は、自殺を考える子供を、どうやったら守れるかということをテーマに書かれているので、大人は対象ではないが、おそらく自殺の背景にある心理状態には大人も子供も関係なく、似ているだろう。
村上春樹は、「1Q84」の中で、こういう表現を使っている。
「人間にとって死に際というのは大事なんだよ。生まれ方は選べないが、死に方は選べる」
https://www.haruki-m.com/meigen/1q84.html
果たして、死に方は選べているのだろうか?
生まれ方を話題にする場合、「こんな風に生まれたかった」という無い物ねだりになりがちなので、生まれ方は選べないと言われるのは納得できるが、死に方を選ぶという場合、「(積極的に)こんな死に方をしたい」という死に方は、選択肢に入っているだろうか?
「こんな死に方をしたい」は、おそらくあるとするならば、「こんな生き方をしたい」の延長線上にしか無いような気がする。
生き方のほとんどは、"どこ"で"どのよう"に生きるかで説明できる。
"どこ"は、家であり、仕事や趣味も含まれるだろう。
死に方を考える場合、家という存在(場)は非常に大きい。
事故物件多発地帯を大島てるが解説 新宿歌舞伎町・横浜市寿町etc…「この時代だからこそ、事故物件情報は役に立つ」
空き家問題というのがどんどん顕在化しています。それなのに、どんどんアパートが作られているので、結局、終戦直後の雨風さえしのげられればいいなんていう時代から変わって、今はとにかく住む人がわがままを言える状態になって来ています。
一言で言えば余っているので、選ぶ側、住む側、借りる側、買う側が「駅から近くなきゃ嫌だ」とか「日当たりが悪いのは嫌だ」とか、いろいろわがまま言うとそれがちゃんと通用するような時代になってきているわけです。やっと不動産業もお客様が神様っていう世界になりつつあります。
そのひとつとして、事故物件が嫌だという考えがあれば、「事故物件じゃないのがありますよ」と不動産屋さんが言ってくれるような状況になって来ているわけですから。
自殺があった住戸、殺人があった住戸は事故物件として通常よりも価格が安くなるが、一番厄介なのは、周りの住戸が原因(上階にキチガイが住んでいる、隣に893が住んでいる等)で、物件を売却するケースだ。中古マンションを検討している人は、住民の話や、なぜ売ろうとしているのかを聞いた方がいい。
— マンションGメン (@mansion_Gmen) August 20, 2018
人間に限らず、命には100%終わり(=死)があるのだが、死は歓迎されず忌み嫌われる。
今の日本では、医者に見守れずに発生する人の死は、『変死』と呼ばれる。
実例の場合、変死として扱われる死体の多くが「自宅で死亡した者」である。
変死体が発見され警察が犯罪などによる異常死と判断した場合、死体は法医学教室に運ばれ、司法解剖が行われます。
— 名倉潤之助 (@Nakura_J_bot) August 29, 2018
日本の変死体解剖率は2%に過ぎない
— 知らなきゃよかった雑学 (@zatugakubot) August 30, 2018
警察庁、変死体年間17万体、9人に8人は死因不明処理❗️
— BASIC INCOME (@vampirediary55) August 26, 2018
病院や施設以外で死ぬ場合、ほとんどの人が変死者として扱われる。
家族に見守れて自宅で亡くなっても、その場に医者がいなければ『変死』になるのだ。
この話の落とし所も見つからない中、私はケーブルテレビで映画「ターミネーター3」を見ているのだが、おもしろいセリフがあった。
怒りは絶望に勝る!
検索すると、印象的なセリフとあって色々出てくる。
「怒りは絶望に勝る」ターミネーター #猫猫語録 映画『ターミネーター3』で、最新型と闘う旧型のT-850(Aシュワルツェネッガー)が、弱気になっているジョン・コナーの顔を掴んで吊し上げ、わざと怒らせ、そして、奮い立たせるために言う台詞。サイボーグが言うからこそ深いものがある。
— Nekodanna (@nekodanna) September 26, 2016
絶望とは愚か者の結論である。(ディズレイリ) Verzweiflung ist die Schlußfolgerung der Narren.
— ドイツ語メール例文集&格言集 (@dt_reibunshu) August 28, 2018
冒頭で引用した記事に、自殺者には強い怒りがあるとあったが、その見出しの後にはこういう文が続く。
もともとは自分の現在の悩みの原因を作った誰かに対して強い怒りと攻撃衝動を抱いていたのだが、それが反転して自分自身に向けられるようになったのが自殺衝動と考えられる。
怒りの矛先を間違うことが、全ての始まりだと感じられる。
最近、すぐにキレる人が多いが、精神状態がギリギリの人の緊急避難的な反応なのかもしれない。
絶望しないために、怒ってる人が増えているのかもしれない。
怒り方を間違えているとも言えるが、そういう人が怒らなくなった時が危ないのかもしれない。
絶望も怒りも、一般的には感情だと思われてるが、ちょっと違うかもしれない。
そう思っていたら、こんなブログがあった、全面的に同意だ。
ナリ心理学 公式ブログを更新しました。 『『怒り』って感情じゃなくて、反応なんだ。』 #ナリ心理学 #東京国際フォーラムhttps://t.co/txHVTwA5st
— ナリ心理学(ナリ)日本語少しだけ話せます (@nalikun2) March 18, 2018
我々が、感情だと思ってるものの中には、実は反応に過ぎないものがある。
反応は、瞬間的なものになるから、ウソがない。
瞬間的なものだから、勘違いによっても起こるが、反応自体にウソはない。
反応は、コントロールできないが、反応を感情と呼ぶことでコントロールしようとすると何かが壊れる。
その壊れようとするものを、壊れさせないために、マネージメントという概念が生まれたのかもしれない。
感情だと思ってるものが、実は反応だったとするならば、なだめようとしたり、コントロールしようとすると、ますますおかしくなるだろう。
事態が好転しない時は、常に180度反対に何があるかを意識しておくほうが良い。
180度反対の選択肢を持つことで、反応が変わり、事態が好転することは世間にはよくある。