違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

心臓の大動脈弁置換手術とヤブ医者!

今週、母(80歳)が心臓弁の置換手術を受けた。

 

入院してから一週間は、手術前の検査が続いた。

 

手術は上手く行き、現在はICU(集中治療室)に入っているが、スケジュール的にはリハビリが2〜3週間となっている。

 

手術は上手く行きホッとしたので、少し手術に至る経緯を書いてみたい。

 

 

 

直前の経緯

 

事態は、急展開で進行した。

 

二週間ほど前の夕方、自転車に乗っていた母が、急に息苦しさを感じ、自転車を停めた(らしい)、と同時に失神し、倒れた。

 

たまたま、近所の顔見知りの小学校6年の女の子が倒れる瞬間を見ていて助けてくれた。

 

母もすぐ意識を取り戻し、その子にお礼を言って自転車を押して帰ろうとしたが、その子が家まで行きますと付いて来てくれたらしい。

 

その後、その子から話を聞いたその子の祖父(顔見知りで懇意にしている)が、すぐ母のところに来て、頭を打っているかもしれないから病院に行こうと、車で病院に連れて行ってくれた。

 

脳のCTなどを撮り、いろいろ検査したが異常はなかったが、突然の失神が気になるので翌日に循環器の検査をしましょうという話になった。

 

翌日の検査には、私が母を病院に連れて行き、一緒に問診を受けた。

 

 

最近の状態

 

胸が苦しくなって失神するというのは、非常に重篤である可能性があるということで、最近の生活や通院や投薬に関して聞かれた。

 

母は、もともとウオーキングや登山が好きで、他に趣味で卓球をしていたが、4〜5年前からウオーキングの距離が減りだし、2年位前からウオーキングをやめていた。

 

母曰く、「なんか疲れる」とのことだった。

 

この時点では、母も私も老化のせいだと思っていた。

 

それからしばらくすると、歩いていても息苦しくなることがあると訴えることが出始め、かかりつけの内科を受診し、心臓のエコーや心電図等を撮るも異常は見つからず、血圧の高さを指摘され降圧剤を処方された。

 

その後徐々にこの息苦しさは進行していった。

 

1年くらい前に、「80歳になるとこんなに疲れるものなのか?」と再度医者に相談し、心臓周りの検査を受けたが異常は発見されず、医者いわく「血圧は低ければ低いほど良い」と言い、降圧剤の処方が続いた、やがて、数百メートル歩くだけで途中で何度か休憩を取らなければいけないこともでてきていた。

 

その頃から、血圧が極端に下る(上が80前後)場合が増えてきたので、私は不調の原因に血圧の低下が関係してるのではないかと思い、母と相談し今年の春から降圧剤の服用を中止し、そのかわり血圧の計測は続け、高くなるようだったら服用を再開するというつもりで臨んだ。

 

血圧は、降圧剤の服用を止めても全く上がらなかったので、これで症状の改善が期待できると思っていたが、改善しなかった。

 

そんなところに、今回の件が起きた。

 

 

問診

 

この経緯を、循環器のドクターに話すと、「処方された薬を勝手にやめたのは良くないですね」と言いながらも、以前のかかりつけの医者が口にしていた「血圧は低ければ低いほど良い」には何も言わなかったが疑問を感じているような反応をしていた。

 

「ちょっと胸を見せてください」と聴診器を取り出した。

 

この循環器のドクターは若い方で、私は少々頼りない感じを受けていた。

 

 

聴診器を当てながら、ドクターの雰囲気が変わる気配を感じた。

 

 

聴診器を離した後、

 

 

「わかりましたよ、きついはずです」。

 

 

「心臓の弁が正常に動いていません、今からエコーと心電図を撮らせてください」

 

 

と言われた。

 

 

 

検査終了後、

 

 

「脅かすようですけど、このまま放っておいたら余命2年です」

 

 

「対処する方法は、心臓弁の交換しかありません」

 

 

「大丈夫ですよ、今やれば、ウオーキングも卓球もできるようになりますよ!」

 

 

と言われた。

 

 

「手術は、心臓に強い病院を紹介しますので、そちらで受けて頂きます」

 

 

私も母も、「お願いします」と言った。

 

 

 

 

 

 

恐ろしい話だと思ったが、この数年感じていた母の体に何が起きているのだろうと感じていた違和感がすべて繋がった瞬間でもあった。

 

現金なもので、頼りなく感じていたドクターが、聴診器一つですべてを見つけたことに感動も受けたし、失神時の経緯を振り返っても母も私も運が良かったと思えた。

 

それと同時に、これまでかかっていた医者がいかにヤブ医者だったかが良くわかった。

 

このヤブ医者は、態度は優しく患者に寄り添う雰囲気を醸し出すタイプの医者なので、母は良い先生だと言い続けていた。

 

 

ヤブ医者と詐欺師はよく似てるなと改めてわかった。

 

一点だけヤブ医者の弁護をするならば、すべての臓器や体の機能に精通することは困難なはずだから、悪意があったとは必ずしも言えない。

 

が、それは患者には関係ないことも事実なのだ。

 

運が良いとか、悪いは、確実に存在している。

 

 

 

手術後、麻酔が覚めかけた状態の母とICUで面会したが、ドクターからは手術は成功したし、経過は順調ですと説明を受けたが、目の前の母は弱々しく手術が失敗したんじゃないかと思える様子だった。

 

翌日になると、看護師さんが「今日歩いたんですよ」と説明してくれた。前日の手術直後の様子とは全く違って、リハビリすれば元に戻るなと実感を得られるほどだった。

 

 

 

余談

 

問診時に、勝手に薬を止めたことに関して、セカンドオピニオンという仕組みがあるのでそれを活用してほしいと言われたが、その説明の際に私がセカンドオピニオンを勘違いしていたことに気付いた。

 

私が理解していたセカンドオピニオンは、別の医者であれば誰でも良いと思っていたが、正しいセカンドオピニオンとは、ファーストオピニオンを下したドクターにセカンドオピニオンを求めたいと申し出て、ファーストオピニオンを下したドクターから紹介された別のドクターに下してもらうものなのだ。

 

これじゃあセカンドオピニオンという仕組みは、もう今にも死にそうな方じゃなければ申し出るには心理的なハードルが高過ぎて、事実上機能するわけないなと思った。