違う見方

誰でもできるけど、自分にしかできないのが、判断するということ! 情報過多な現代は偏り(バイアス)も強いので思わぬ方向にずれていくこともある。そんなズレを修正したりブレーキをかけるために少し違う目線を持ってみたいという備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

【意味が変化】弱肉強食!?

『弱肉強食』とトレードオフの関係にあるのが『治安』。

 

『治安』は、良い悪いで語られ、良い場合は維持されるものであり、その結果は、安定・不安定という尺度で計られることが多い。

 

治安が安定すればこそ共存共栄(=弱肉強食の辞書的な反対語)が成り立つ。

 

 

 

現代日本の人間社会における弱肉強食は、命のやり取りではなく、経済的、社会的な属性のどこに位置してるかということで、社会的なヒエラルキーの中で序列を決定されることによって起きる。

 

この弱肉強食の恐ろしさは、容赦ない序列付けにあるように捉えられがちだが、一番恐ろしいのは世間の目を意識するあまりに、序列の呪縛に囚われて心を病むことだ。

 

一般的な弱肉強食の世界では、強い者が加害者(=支配者)であり、弱い者が被害者になる。

 

 

 

人間を含めて自然界の弱肉強食は、基本は異なる種の間での競合だが、種の内部でも弱肉強食は起こる。

 

しかし、人間社会で弱肉強食を語る時は、人間同士の闘いのみを意味する。

 

だから、人間の目には絶対的な差があるように見えても、異なる種の目から見ると、おそらく大した違いが無い筈だ。

 

 

 

実は、人間社会の変遷を見ていくと、決して弱肉強食ではないことに気づく。

 

 

 

人間社会の多様性の展開をよく見ると、弱者の裾野が拡大してるようにも見える。

 

しかし、弱肉強食の世界である以上、一定水準が求められる。

 

 

 

そして、その健康自体も弱肉強食化しているかもしれない。

 

 

 

 

人間社会では、弱肉強食の理屈にも多様性が生じているのかもしれない。

 

弱いから取ってると思われてる行動が、強者の理屈になるかもしれない。

 

 

 

そもそも、弱肉強食とは、強者が弱者を支配してる事だと思いがちだが、実は強者だと思われてる者が、弱者に依存してるとも言えるのだ。

 

 

 

昭和から平成に跨って生きてる程度の短い時間の中でも、意味が変わる言葉が出てくる。

 

時の流れの中で意味を変える言葉のように、自然界を支配している理屈にも定義の変化が訪れてるかもしれない。

 

弱肉強食の弱者と強者の定義も逆になる日が近づいてる気配を感じる。