違う見方

誰でもできるけど、自分にしかできないのが、判断するということ! 情報過多な現代は偏り(バイアス)も強いので思わぬ方向にずれていくこともある。そんなズレを修正したりブレーキをかけるために少し違う目線を持ってみたいという備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

『支配・制御』の次!?

知識や情報が増えると、発言には“うんちく”や理論武装が増え、ボーッと聞いてると強いポリシーに基づいて発言してるように感じられることが多い。

 

しかし、果たしてそうだろうかという話をしてみたい。

 

これは私の持論だが、『人間の本音は、ことばではなく、その行動に現れる』と思っている。

 

ことばがウソを付くという意味と言うよりは、ことばは当てにならないという意味だ。

 

少し選挙からネタを拾ってみるが、政治を語るわけではない。

 

 

 

衆議院議員総選挙における年代別投票率の推移   総務省

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これは、投票率の推移を年代別に示したグラフとデータだが、大まかな傾向として、時代が新しくなるほどに、年代が若くなるほどに、投票率が下がっている。

 

それなりの争点やテーマがある時は、全年代とも投票率が上がるところを見ると、興味や関心が掻き立てる何かがあると、傾向をものともせず行動は変わるということを示している。

 

投票行動に向かわせる要素にあるものとして、

 

・投票しなければいけない

 

・投票するべきだ

 

・投票したい

 

 

の3つが主な動機だろうか。

 

 

投票率の低下と共に、浮動票ということばが生まれ、浮動票を投じる人々を浮動層と呼ぶようになった。

 

投票には行くが、誰に投じるかは明確なポリシーに基づくわけではないのが浮動層と言える。

 

投票したくて行く人にとっては、誰に入れるかが大きなテーマだが、そうでない人にとっては、投票することがテーマで、誰に票を入れるかは二の次となる。

 

票を投じたい相手がいない人の中には、投票を棄権する人も多いだろう。

 

現在では、投票行動全体に占める最多層が、浮動層と棄権する人々になっている。

 

これらの人々は、その発言だけを聞けば、ポリシーに基づく主義主張や、強い興味や関心を動機にして、積極的な行動を取っているように見えるかもしれないが、実態は果たしてどうなのだろうか。

 

そして、投票行動にとどまらず、あらゆる分野で、そういう種類の人が最多層を形成してるかもしれない。

 

極めて個人的な趣味嗜好に関することですら、その種の人々が最多層を形成してるかもしれない。

 

趣味嗜好に関して最も目立つのは、積極的に行動する『オタク』と呼ばれる人々だが、オタク領域にも似て非なるオタクモドキが最多層を構成してるかもしれない。

 

 

 

 

「する人」と「しない人」に分けた時、「する人」の中にかなりの浮動層が存在するようになっている。

 

 

 

 

この結果、生き方が二極化してるかもしれない。

 

 

自分の人生の主役は自分だという自覚を持って生きる人と、自分の人生においてすら傍観者でいようとする人、という二極化だ。

 

 

浮動層の増加と無関係ではないのが、ハラスメントの増加だ。

 

この二つは、密接に関連している。

 

 

 

 

Google Trendsで、"支配"、"ハラスメント"を検索可能な2004年以降で比較すると、

 

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2015年の7月にハラスメントが大きく盛り上がっているのは、武井咲主演のドラマ「エイジハラスメント」の影響だ。

 

 

別々に検索されてるにもかかわらず、動きが似てるところを見ると、概ね、この二つのワードは関連してると言えそうだ。

 

 

 

ハラスメントと支配が一体になる理由として、

 

 

表彰制度が“パワハラ”を助長? “パワハラ”がなくならない理由とは

なぜ、こうした組織風土ができてしまったのでしょうか? 河合さんは「スルガ銀行には多くの表彰制度があること」に注目し、昨今話題になっているスポーツ界のパワハラとの相似を指摘しました。

 

スポーツ界のパワハラがなくならない理由として、自身のスキル向上や勝負に勝つというポジティブな経験がパワハラを肯定的にとらえる傾向を高めるという調査結果が出ています。

 

「スルガ銀行もまったく同じ構図で、表彰によって賞賛されるというポジティブな経験が、『パワハラがあったからこそ自分は頑張って結果を残せた』と感じさせてしまう」と分析。

 

「表彰制度がパワハラを助長することにつながっていった」と結論づけました。

 

誰でもされると嫌なハラスメントを許容させるために活用されるのが表彰制度だとすれば、支配する側からすると、表彰制度を活用し、人の気持ちを"制御"したことになる。

 

アナログ中心の生活の場にデジタルが少しずつ浸透し始めたのが80年台で90年台に入ると流れは完全にデジタルに移った。

 

このデジタルの浸透が促した価値観が、『制御』という概念だ。

 

アナログ時代の主役は人間の感情や感性だったが、デジタル時代に入ると主役はスペックや結果になり、人間の感情や感性はデジタルに適応させるものにシフトしていった。

 

 

 

過去を振り返ると人間が人間を、支配したり支配されたり、制御したり制御されたり、という両極端などちらかしかない状態が、浮動層を生み出すことに繋がってるとすれば、未来の鍵を握っているのは浮動層かもしれない。

 

アクセルしかない車や、ブレーキしかない車は、どちらも満足に機能しないように、一方的に片寄った状態は長続きしない。

 

 

人間にとっての生態系のバランスは、どこにあるのだろうか?

 

『支配』から『制御』に活路を見出した人類だが、次はどこに向かうだろうか?