知識や情報が増えると、発言には“うんちく”や理論武装が増え、ボーッと聞いてると強いポリシーに基づいて発言してるように感じられることが多い。
しかし、果たしてそうだろうかという話をしてみたい。
これは私の持論だが、『人間の本音は、ことばではなく、その行動に現れる』と思っている。
ことばがウソを付くという意味と言うよりは、ことばは当てにならないという意味だ。
少し選挙からネタを拾ってみるが、政治を語るわけではない。
これは、投票率の推移を年代別に示したグラフとデータだが、大まかな傾向として、時代が新しくなるほどに、年代が若くなるほどに、投票率が下がっている。
それなりの争点やテーマがある時は、全年代とも投票率が上がるところを見ると、興味や関心が掻き立てる何かがあると、傾向をものともせず行動は変わるということを示している。
投票行動に向かわせる要素にあるものとして、
・投票しなければいけない
・投票するべきだ
・投票したい
の3つが主な動機だろうか。
投票率の低下と共に、浮動票ということばが生まれ、浮動票を投じる人々を浮動層と呼ぶようになった。
投票には行くが、誰に投じるかは明確なポリシーに基づくわけではないのが浮動層と言える。
投票したくて行く人にとっては、誰に入れるかが大きなテーマだが、そうでない人にとっては、投票することがテーマで、誰に票を入れるかは二の次となる。
票を投じたい相手がいない人の中には、投票を棄権する人も多いだろう。
現在では、投票行動全体に占める最多層が、浮動層と棄権する人々になっている。
これらの人々は、その発言だけを聞けば、ポリシーに基づく主義主張や、強い興味や関心を動機にして、積極的な行動を取っているように見えるかもしれないが、実態は果たしてどうなのだろうか。
そして、投票行動にとどまらず、あらゆる分野で、そういう種類の人が最多層を形成してるかもしれない。
極めて個人的な趣味嗜好に関することですら、その種の人々が最多層を形成してるかもしれない。
趣味嗜好に関して最も目立つのは、積極的に行動する『オタク』と呼ばれる人々だが、オタク領域にも似て非なるオタクモドキが最多層を構成してるかもしれない。
好きなジャンルになると長文プレゼン早口オタクになるか
— ぽこ🍺 (@poco_0291010) October 14, 2018
語彙力皆無脳死オタクになるかの二極化するよね
オタクは専門性が高く、特定の価値体系で知識や経験値を語り、結果として新規に厳しくなる。
— 麻生 (@AsPulO) October 13, 2018
そのオタクと新規のギャップを中間組織のようなもので埋められないか。二極化せずグラデーションと多様性のある共同体にできないか?
「する人」と「しない人」に分けた時、「する人」の中にかなりの浮動層が存在するようになっている。
ビジネスの世界でも、例えば我々おっさんたちだけでおっさんじゃない人向けの製品やサービスを企画する際にはこういう「他者を理解するための調査」が不可欠なんですけど、形式的に「他者っぽい属性の身内」を会議に呼んでおけばいいとこのへんサボってる大人はまだまだ多い。
— 西内啓 Hiromu Nishiuchi (@philomyu) October 15, 2018
この結果、生き方が二極化してるかもしれない。
自分の人生の主役は自分だという自覚を持って生きる人と、自分の人生においてすら傍観者でいようとする人、という二極化だ。
浮動層の増加と無関係ではないのが、ハラスメントの増加だ。
この二つは、密接に関連している。
そう、ハラスメントってまさに依存症なんだよね。他者を支配しコントロールすることで絶えず全能感を補給し続けなければ自己の存立を保つことができない病。
— arima (@arima_yukimi) May 7, 2018
Google Trendsで、"支配"、"ハラスメント"を検索可能な2004年以降で比較すると、
2015年の7月にハラスメントが大きく盛り上がっているのは、武井咲主演のドラマ「エイジハラスメント」の影響だ。
別々に検索されてるにもかかわらず、動きが似てるところを見ると、概ね、この二つのワードは関連してると言えそうだ。
ハラスメントと支配が一体になる理由として、
表彰制度が“パワハラ”を助長? “パワハラ”がなくならない理由とは
なぜ、こうした組織風土ができてしまったのでしょうか? 河合さんは「スルガ銀行には多くの表彰制度があること」に注目し、昨今話題になっているスポーツ界のパワハラとの相似を指摘しました。
スポーツ界のパワハラがなくならない理由として、自身のスキル向上や勝負に勝つというポジティブな経験がパワハラを肯定的にとらえる傾向を高めるという調査結果が出ています。
「スルガ銀行もまったく同じ構図で、表彰によって賞賛されるというポジティブな経験が、『パワハラがあったからこそ自分は頑張って結果を残せた』と感じさせてしまう」と分析。
「表彰制度がパワハラを助長することにつながっていった」と結論づけました。
誰でもされると嫌なハラスメントを許容させるために活用されるのが表彰制度だとすれば、支配する側からすると、表彰制度を活用し、人の気持ちを"制御"したことになる。
アナログ中心の生活の場にデジタルが少しずつ浸透し始めたのが80年台で90年台に入ると流れは完全にデジタルに移った。
このデジタルの浸透が促した価値観が、『制御』という概念だ。
アナログ時代の主役は人間の感情や感性だったが、デジタル時代に入ると主役はスペックや結果になり、人間の感情や感性はデジタルに適応させるものにシフトしていった。
ある有名な方から、僕の大事な後輩を「よく制御してるね。感心する。あいつは難しいから」と言われる。それはね。僕は制御なんてしてないから。心から力を貸してくれてることに感謝しているから。死んでも、制御したいとか、支配したいと思ってない。僕らは経験年数にこそ違いはあるが、同等なんだ。
— 竹林崇@SNSで知識・講義を頒布する作業療法士 (@takshi_77) November 24, 2014
過去を振り返ると人間が人間を、支配したり支配されたり、制御したり制御されたり、という両極端などちらかしかない状態が、浮動層を生み出すことに繋がってるとすれば、未来の鍵を握っているのは浮動層かもしれない。
アクセルしかない車や、ブレーキしかない車は、どちらも満足に機能しないように、一方的に片寄った状態は長続きしない。
〈チョロ松〉皆さんは自律神経をご存知ですか?心臓や腸、胃、血管などの臓器を制御する大切な神経ですね。その中で特に大切なのが「交感神経」と「副交感神経」です。この二つがいい感じにこうバランスを保ってくれることで僕たちはアクセルとブレーキをうまく使えている、らしいです本によると。
— カウンセラーっぽい松野家bot (@Counselor6bot) October 16, 2018
人間にとっての生態系のバランスは、どこにあるのだろうか?
『支配』から『制御』に活路を見出した人類だが、次はどこに向かうだろうか?