違う見方

誰でもできるけど、自分にしかできないのが、判断するということ! 情報過多な現代は偏り(バイアス)も強いので思わぬ方向にずれていくこともある。そんなズレを修正したりブレーキをかけるために少し違う目線を持ってみたいという備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

価値ある情報とは?

事件が現場で起きる、全てはそこから始まる。

 

その時の事件の当事者が発する情報やその現場に居合わせた人が発する情報には「百聞は一見に如かず」の力がある。

 

情報の“最初”は現場で生まれるが、それだけでは一次情報という扱いを受けないという考え方が根強い。

 

 

一次情報とは、情報の最初の当事者や周辺の人々への取材というフィルターで漉し取られたものだと言う考え方が根強い。

 

一次情報に価値があるという考えは、それが真実だと思われてるからだが、取材というフィルターを通した時点で果たしてそれは真実と言えるだろうか?

 

インターネットやSNSなどの普及で、情報発信のハードルが下がると情報の価値や質に対する評価が多様化する。

 

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この図は私がイメージする世間の情報の位置付けで、色の濃さが信頼度を示している。

 

 

しかし、一次情報ですら、真実や事実という観点で見ると、現場で起きたことを違う色で伝えていると思っている。

 

そんな一次情報を基に更に色付けし情報が拡散していくが、どれも現場で起きたことを基にしながらも違うものになっていく。

 

 

世間一般で、既存マスコミがどう色分けされてるかという図があったので紹介する。

 

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https://twitter.com/YES777777777/status/930063576529739776

 

 

一次情報ですら、良く言えば多様性があると言えるが、実は大きな偏りがあることが伺える。

 

多様なメディアの全てに目を通すことができれば、その中心にあるものが見えるかもしれないが、私を含めて多くの人にとって、メディアは十把一絡げにメディアになっていて、個々のメディアにあったとされる性格の違いなどもはや全く考慮してないだろう。

 

 

少し世間の声を拾ってみると、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

既存の情報発信の在り方を基準にすると、一次、二次、三次と分類しがちになるが、意見や考えを加味して発される情報は、全て一次情報になりつつある。

 

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現場から発されたツイートに対して単純にリツイートするだけではそのリツイートは二次情報になるだろうが、コメント付きで発されたリツイートは新たな一次情報になるようになったのが現在だ。

 

付与されたコメントは二種類に分けられる。

 

思考の表現とウソに分けられる。

 

これは、最初の一次情報にも当てはまる。

 

情報には一定の割合でウソが含まれている。

 

ウソが嫌な人は、真実に拘るが、情報からウソを排除することはおそらく不可能で、真実は「絵に描いた餅」みたいなものだと思った方が良い。

 

だとすれば、情報の価値は、そこに込められた思考の記録を読み解く事に委ねられる。

 

 

 

 

 

思考を加味して発されるすべての情報が一次情報になるという考え方の基本であり前提は、ひとりひとりがそれぞれに独立した個性や人格を備えていると言う考え方に宿る。

 

 

情報は、真実や事実よりも、誰が言ったか、その人はどう捉えてるか、ということがより重要になるし、そうやって情報の取捨選択を行うことになるが、これこそが自己責任となる。