違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

【要注意】先入観!

ラジオでこんな事を言っていた。

 

リスナーからの投稿。

 

『子供とプロ野球のドラフト会議のニュースを見ていたら、子供が「これ会議じゃないよね、これくじ引きだよね」と言った。確かに! 大人はなんでドラフト会議を"会議"だと思っているのだろう?』

 

なんか違うのに、その方が通りが良いと、使い続けられる表現がある。

 

シンプルなことばで表現されることわざには、昔の言葉にも関わらず時の流れに耐えただけのことはあり、説得力があることが多いが、実は「それ、どっち?」と思わせるものも多い。

 

 

二度あることは三度ある。

 

三度目の正直。

 

 

 

人を見たら泥棒と思え

 

渡る世間に鬼はなし

 

 

 

好きこそものの上手なれ

 

下手の横好き

 

 

 

果報は寝て待て

 

蒔かぬ種は生えぬ

 

 

 

他にもたくさんあるが、おだやかな日常生活の中では、どちらでも大きな違いはないが、人生のピンチや、ここぞと人生を賭けて"こと"に臨む時には、上記の例のことわざの場合、どちらを選択するかで方向性や行動は全く違ってくる。

 

確固たる信念があるようでいて、なにか大事なことを考え忘れてるような思いも付きまとう中で、迷いを吹っ切るように気持ちを後押しするのは、上記のような正反対の意味が存在することわざのどちらかだったりする。

 

 

このような時、判断の目安やキッカケになるのは何だろうか?、というのが今日のお題。

 

判断には、常に理性と感情が入り交じる。

 

人間は、成功からはあまり得るものがなく、失敗からは多くのものを得ることができると言われる。

 

だとすれば、注目すべきは『判断ミス』だ。

 

 

 

 

 

 

運転のように、判断ミスが許されない分野では、判断するために必要な知識や経験は事前に取得が義務付けられるが、それでも判断ミスは起きる。

 

ましてや、人生では、知識や経験が十分に備わってない状態で判断を迫られることばかりなので判断ミスは到るところで起きているはずだ。

 

 

 

まだ記憶に新しい(?)、今年の台風21号が起こした関空での事故。

 

知識や経験を、それなりのレベルで積み上げていても判断ミスは起きる。

 

 

 

しかし、判断ミスを誘う要素もあったのだ。(だから許されるわけではないが)

 

 

 

事故が起きた後に、理路整然と声高に判断ミスを指摘することは簡単だ、一種の後出しジャンケンみたいなものだから。

 

 

事後に分かることを、事前に分かれば何の問題もないのだが.....。

 

 

 

事前に分かったような気になる時に、持ってしまうのが先入観だ。

 

巷で話題の勘違いさせる力は、先入観を植え付ける力と言い換えても通じるような気がする。

 

人間が、感じ、考える生き物であるかぎり、先入観の呪縛から逃れることはできない。

 

先入観は、偏見とほぼ同じだが、どちらも良くも悪くも個性に繋がっていく。

 

なんか上手くいかない時は、自己分析し、自分が持ってる先入観を疑ってみると、思わぬ活路が拓けるかもしれない。