違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

【備えあれば憂いなし】チャンスに備えろ!

結果がすべての競争社会では、すべての人が敵になるように感じられ、すべての人と戦おうとしてしまう。

 

その結果、戦う相手を間違えてしまうということが起きる、あるいは、関わってはいけない相手と関わってしまうということが起きる。

 

そういうことを教えてくれる(タイトルだけかもしれないが)本がある。

 

 

 

 

01 バカばっかりの環境に居続けるバカ(堀江貴文)

02 人と同じことをやりたがるバカ(西野亮廣)

03 学校を盲信するバカ(堀江)

04 目的とアプローチがずれているバカ(西野)

05 我慢を美徳にしたがるバカ(堀江)

06 未熟なのに勘に頼るバカ(西野)

07 欲望する力を失っているバカ(堀江)

08 「自分の常識」を平気で振りかざすバカ(西野)

09 機械の代わりを進んでやるバカ(堀江)

10 付き合いを強要するバカ(西野)

11 ひとつの仕事で一生やっていこうとするバカ(堀江)

12 先に設計図を描きすぎるバカ(西野)

13 にわかを否定するバカ(西野)

14 人生の配分ができないバカ(堀江)

15 新しさばかり追求するバカ(西野)

16 無自覚に人の時間を奪うバカ(堀江)

17 善意なら何でもありのバカ(西野)

18 マナーを重んじて消耗するバカ(堀江)

19 自分は老害にならないと思っているバカ(西野)

20 孤独を怖がるバカ(堀江)

21 一貫性にこだわるバカ(西野)

22 未来に縛られるバカ(堀江)

23 空気を読むバカ(西野)

24 バカを笑って、自分は棚上げのバカ(堀江)

25 西野亮廣という「バカ」(堀江)

26 堀江貴文という「バカ」(西野)

27 ぼくは「バカ」(堀江)

28 ぼくも「バカ」(西野)

 

 

   

 

 

 

すべての人と戦わなければいけなくなると、戦略や戦術を語るのが好きな人でも、実際の戦い(競争)の場では、戦ってはいけない相手に挑んでしまう場合や、戦い方を間違う場合がある。

 

 

 

今の日本では、基本的に自由が保証されている。

 

自由に行動できると、競争が起きる。

 

競争にも様々あり、遊びながら楽しみながらの競争もあれば、たった一つの椅子を巡っての競争もあれば、切磋琢磨という共通の目標に向かう競争もある。

 

競争してると、競争相手と戦ってるつもりになるが、果たしてそうだろうか?

 

 

「ライバルは隣にいない」、携帯電話が世に出回りだした頃、雑誌やCDなど趣味の領域の売り上げが下がり出した頃に発見された新しい事実だ。

 

中学、高校、大学生など可処分所得が少ない人々が、大半を携帯料金に奪われていたためで、ライバルが隣接業界にいるわけではないという現象が顕在化した、90年代後半からミレニアムにかけての頃の話だ。

 

それ以降、似たような状況は当たり前になったと感じられる、我々はいったい何と競争してるのか?

 

 

 

 

 

実は、その「コミックス」。これをどう見るかで、「出版不況」と呼ばれる現象に対する見方が、180度とはいかないまでも、90度くらい変わってしまうんですよね。

以前にもこのコラムで少し書かせていただいたことがあるのですが、毎年、二千数百億円の売り上げがある「コミックス」のうち、9割は「雑誌」の売り上げに計上されているのです。

 

統計や分析の前提となる"定義"が都合よく使われていて、"ない"ものが、"ある"ことになっているという出版界の話だが、すべてが敵になるとこういうことが平気で行われる。

 

 

また、最初に目につくのは表面的なことなので、技術やテクニックの差だったりが気になってしまう。

 

 

 

次のは、恋愛を競争に見立てた話だろうか?

 

 

 

プロのスポーツ選手は何と戦っているのだろうか?

 

 

 

そうなると、やっぱり捨てがたいのが『運』だ。

 

プロ野球界では、戦力外通告が最終段階に入っているが、戦力入り(レギュラー獲得)にも運というドラマがある。

 

 

 

どんな競争であっても、一つだけ確かなことがある。

 

それは、「こうすれば大丈夫!」という類のものではない。

 

 

 

 

あらゆる分野で競争が起きているが、決して切磋琢磨ばかりではない。

 

 

誰が言ったか、『備えあれば憂いなし』!