違う見方

誰でもできるけど、自分にしかできないのが、判断するということ! 情報過多な現代は偏り(バイアス)も強いので思わぬ方向にずれていくこともある。そんなズレを修正したりブレーキをかけるために少し違う目線を持ってみたいという備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

【死語の世界】お見合い!

リツイートされて私に届いたツイートがある。

 

 

面白そうなのでリプライを見たら予想通り面白かった。

 

 

 

 

 

どうやら、お見合いということばは死語に近いのかなと思わせてくれるやりとりがされていた。

 

GoogleTrendsで検索可能な2004年以降で見てみると、

 

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グラフの動きが妙にギザギザなのは、検索の絶対数が多いわけではないからだろう。

 

関連のトピックやキーワードを見ると、

 

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お見合い=テレビのバラエティ番組、となってることが検索のされ方に感じることができる。

 

他に発見だったのは、ペットを引き取る際の最初の出会いを「お見合い」と呼んでるケースが多いということだ。

 

 

 

では、人間同士のお見合いはどのように捉えられているのだろうか?

 

 

 

結婚のためのお見合いは、現代では多くの人にとっては他人事の歴史上のイベントになり、テレビのバラエティ番組のような企画ものの世界になっているのだ。

 

いろいろ見ていて感じられるのは、やはり見合いと恋愛の根本的な違いだ。

 

上手く行く場合には、出会い方なんか関係ないので恋愛と見合いの違いはほとんどない、問題は断る場合のストレスなのだ。

 

恋愛は、出会った後で好きになるから始まり、嫌いになって終わる。

 

断るストレスよりも、一緒にいることのストレスの方が大きくなると、断る方を選ぶのは当然だ。

 

恋愛は、シンプルな理屈で展開される。

 

見合いは、好きでもない相手と出会い、嫌い未満の理由で断らなければいけないケースが多いのだ。

 

だから、ドラマが生まれるのだが、煮え切らない歯切れの悪いドラマになる。

 

 

 

 

 

 

人間同士が出会うと、ビジネスの場であろうと、プライベートな場であろうと、戦略や戦術を駆使する駆け引きの場となることがよく分かる。

 

と同時に思いが至るのは、人間同士でいることがストレスだから、逃避先としてペットという存在があるのかもしれないということ。

 

たかが“お見合い”という言葉であっても、万物は流転するという世界観が感じられる。