違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

『楽観主義』と『悲観主義』の良い点悪い点!

最近のちょっとしたマイブームが『楽観主義⇔悲観主義』。

 

そこで、いろいろな観点から楽観主義と悲観主義を比べていると、これもグラデーション的な濃淡の違いはあっても、誰もがこの両方の要素を持っていると気付く。

 

そこで、今日は楽観主義と悲観主義が描くグラデーションを意識するためには、両者の両極端を知ってみたいと考えてみた。

 

f:id:chigau-mikata:20190115162331j:plain

※フリーアプリのSimpleMind+を使用

 

 

 

上が楽観主義者の特徴で、下の(  )が悲観主義者の特徴を示してみた。

 

最初に書いたように、これはグラデーションを描くので、楽観主義者にも悲観主義者の要素はあるし、逆もあるが、傾向としては悲観主義の要素が強いほど自縄自縛的になりそうだ。

 

悲観主義者が最も賞賛されるときは、頑なに一途に取り組んだ結果が実を結ぶような場合であろう。

 

そう考えると、成功者の中には一定の悲観主義者はいるだろうし、ノーベル賞を取るような研究者は悲観主義者であることが多いかもしれない。

 

 

以下は、上記にあげた8つの特徴についての補足だが、両極端に書いていることをお忘れなく。

 

 

  • 発想が柔軟(一途に思い込む)

 

楽観主義者は、選択肢や想定する事態を複数持ち、絶えずその中で取捨選択や追加削除を行うのに対し、悲観主義者は一つのことに集中することを好み、「二兎を追う者は一兎をも得ず」と考えがち。

 

 

  • 変わり身が早い(こだわりが強い)

 

楽観主義者は、複数のことを同時並行したり、新たなことを追加したり、やってたことを突然やめたりするが、悲観主義者は、一生かけて取り組むなど強い決意を持てないと何事も始められないので、「石の上にも三年」という行動を好む。

 

 

 

  • 真実を信じる(拠り所にしてるものを信じる)

 

楽観主義者は、自分の目に見えてるものや、自分で考えて分かることしか信じないのに対し、悲観主義者は、自分では考えず、もっともらしい意見や報道をあてにするが、本人なりの基準で取捨選択するので、自分は考えてると思っている。

 

 

  • 良い事も悪い事も長続きしない(悪い事は長続きする)

 

楽観主義者は、良い事も悪い事もたまたま起きただけで大した意味はないと思うのに対し、悲観主義者は、起きたことには理由があると考え、悪い事が起きたらどうしようとばかり考えるので、悪い事が起きてなくても悪い事が起きてるのと同じ気分になる、日本人の保険好きの最大の理由だろう。

 

 

  • 何も起きないし起きても大したことない(何か大変な事が起こるかもしれない)

 

楽観主義者は、仮に大変な事が起きたとしても、その時はみんなの問題だし、「赤信号みんなで渡れば怖くない」と考えるのに対し、悲観主義者は「何が起きても自分だけは助かりたい」と考えるので常にビクビクしている、フェイクニュースや詐欺に反応するのは悲観主義的なアンテナの持ち主と言えるだろう。

 

 

  • 夢を語る(リスクを語る)

 

楽観主義者は、「明日は明日の風が吹く」と考え、宵越しの金がなくても平気だが、悲観主義者は、死ぬ直前でも長生きが心配のタネ。

 

 

  • 不測の事態が発生しても想定内と思える(予測の事態が発生しても想定外だと感じてしまう)

 

楽観主義者は、何が起きても、今何をするべきかを考えるが、悲観主義者は、何が良くなかったんだろう、何が足りなかったんだろう、と過去を振り返る。

 

 

  • 朝陽が好き(夕陽が好き)

 

楽観主義者は、「これから始まる」が好きで、悲観主義者は「ああ、終わって行く」が好き、過去の栄光が忘れられないのも夕陽が好きな人の特徴だと言える。

 

 

 

日本人は、基本が悲観主義だからだろうが、楽観主義者が“てきとう”で“いい加減”な人に見える事が多い。

 

 

楽観主義者と悲観主義者を極端な形で比較していて気付くことがある。

 

大雑把に言うと、楽観主義者は未来を見て、悲観主義者は過去を見る、と感じる。

 

そうすると、気になるのは「今」の捉え方だ。

 

「今」を蔑ろにして未来を見る楽観主義者と、「今」を蔑ろにして過去に囚われている悲観主義者は、どちらも残念な存在と言えるだろう。

 

もっと別の言い方をすると、「過去」とはデータ化されたもので、「未来」は未データの世界だ。

 

未来の始まりは「今」にある。

 

時間としての「今」は常に存在しているが、タイミングとしての「今」は一瞬だ。

 

楽観主義者は、敏感にタイミングを掴むことが得意だが、掴んだタイミングで何を為すかが得意なのは悲観主義者の能力だろう。

 

楽観主義者であるだけでは、せっかく掴んだタイミングを活かす事ができない事が多い。

 

同様に悲観主義者であるだけではせっかく「備えあれば憂いなし」と準備していてもタイミングが掴めないので、傍からみてると「下手な鉄砲数打ち当たる」としか見えなくなる。

 

楽観主義者と悲観主義者のどちらが良いかと問われたら、わたしは楽観主義者が良いと考えるが、それは男と女どっちが良いかと問われて答えることに似ている。

 

唯一の違いは、男と女の場合だと実際の自分の性は変えられない(最近は例外があるが)という点。

 

それに対して、

 

楽観主義になるため、意志の力で、「よし、ここは楽観主義を選ぼう」と0.3秒で決意する。するとなれるんですよ。

楽観主義に向かう努力を「自己決定」する!

 

 

 

 

悲観主義者が、TPOに応じて楽観主義を使い分けるという切り替えを考える事が、未知を切り拓くためには有効な気がしてくる。

 

イザという時に楽観主義で振る舞うためには、それ相応の準備と訓練が必要になるだろう。

 

 

次はそういう話を書いてみたい。