昨日の続き。
今日のテーマは、イザという時に楽観主義で振る舞うための準備はどうすれば良いかについて。
ちょうど良い記事があったので、これを使ってみたい。
「年明け早々やる気がない人」のヤバい思考 大平 信孝:メンタルコーチ
ただ、「自己肯定感が低いままの人」には、共通点があります。それは、なんとなく陥っている思考パターンです。ここでは、年明けによくある自己肯定感を下げてしまう5つの「思考パターン」をご紹介していきます。
思考パターン1:気合い系
思考パターン2:あれもこれも系
思考パターン3:あきらめちゃう系
思考パターン4:先延ばし系
思考パターン5:自己満足系
詳しくは本文を読んで頂きたいが、注目したいのは、『自己肯定感』というキーワードが出てきたことで、要は自信があるかが問われるということだ。
著者にはメンタルコーチという肩書きが付いていて、言ってる内容は概ね同意できるのだが、表現の仕方が難し過ぎるのだ、同じことはこの記事に寄せられてるコメント主達にも言える。
この話を使いながら今日のテーマである楽観主義を身に付けるための準備に結び付けたい。
自己肯定感が持てないとやがて自信がなくなる。
この状態こそが悲観主義者そのものなのだ。
自信がなくなると、自分で考えなくなり他に拠り所を求めるようになる。
何を拠り所にするかというと、「もっともらしい人や、そんな人が発する意見や考え」だ。
声の大きい人、有名な人、目立つ人、他人から評価されてる人...など。
上記の記事の著者やコメントを寄せてるような方々だ。
悲観主義者発生のメカニズムは、
自己肯定感の欠如→→自信喪失→→拠り所に頼る→→悲観主義者
という流れがイメージしやすいだろう。
逆にいうと、自己肯定感が強いのが楽観主義者と言える。
フランスの哲学者アランは、著書「幸福論」の中でこう言っている。
『悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意志によるものである』
この言葉は有名だが、この後には続きがある。
『気分にまかせて生きている人はみんな、悲しみにとらわれる。否、それだけではすまない。やがていらだち、怒り出す』
『ほんとうを言えば、上機嫌など存在しないのだ。気分というのは、正確に言えば、いつも悪いものなのだ。だから、幸福とはすべて、意志と自己克服とによるものである』
このように見てくると、楽観主義者は何も特別な努力をせずに楽観主義を身につけてることがわかる。
もっともらしい言い方をするならば、我思う、ゆえに我ありだ。
全てについて疑うべし(De omnibus dubitandum)という方法的懐疑により、自分を含めた世界の全てが虚偽だとしても、まさにそのように疑っている意識作用が確実であるならば、そのように意識している我だけはその存在を疑い得ない。
楽観主義も、小難しい哲学が扱うとこんなに偉そうな表現になるのがおもしろい。
昨日のエントリーで楽観主義者と悲観主義者の違いを書いたが、後からもう一つ付け加えたいことがあったことを思い出した。
悲観主義者は、絶対的な正解や明確な善悪というものを求めるのに対し、楽観主義者は現時点での最適という割り切りができるという違い。
楽観主義になるため、意志の力で、「よし、ここは楽観主義を選ぼう」と0.3秒で決意する。するとなれるんですよ。
楽観主義者への道は0.3秒で開かれるとすると、必要な心の準備は簡単だ。
『世の中には正解なんてない、もしあるとすれば自分が出す答えだけだ』
そういう気持ちになれさえすれば、なれた瞬間から楽観主義者になれる。
継続すれば自信なんて勝手に出来上がってくる。
一つだけ注意点があるとすれば、自信を持つとは排他的であるという意味ではないことだ。
楽観主義が悪く作用する時には排他性が出てくることは意識しておこう。