違う見方

複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

悩みの多くは遡ると人間関係に行き着く!

バンジージャンプや墜落のイメージだけで、背筋がゾッとする。

 

こういう感覚は、『イメージ(=擬似リアル)>ことば』となりそうだ。

 

しかし絵(映像)がプラスされると、ことばは決してイメージに劣らない力が宿る。

 

 

リンク先の記事には、

 

 

「生きるために欠かせない人間関係と豊かになるための関係があって、生きるために欠かせない関係とは、やはり距離を置いておきたい。でも、恋愛や性的な関係は、排他的な太い関係を求めます」

 

「でもそれは『混ぜるな危険』。

 

 

もうひとつ興味あることばが出てくる。

 

自立とは誰にも寄りかからずに一人で生きることだと考えていたという中村さんは、熊谷さんの「自立とは依存先を増やすこと」という言葉を聞いて、目から鱗が落ちたという。

 

生きている人間には様々な悩みがある。

 

しかし突き詰めると、すべてとまでは言えないまでも多くは「人間関係」と言えるかもしれない。

 

お金儲けや損得勘定ばかり追いかけてる人も、何のためにやってるかと言うと「人間関係」で優位に立ちたいと考えたり、そもそもの発端が「人間関係に纏わるコンプレックス」だったりするのではないだろうか?

 

イノベーションを目指す人は、イノベーションの恩恵に与(あずか)る人々を想像することがモチベーションかもしれないし、そんなことできないと言った人々を見返したいと思う気持ちがモチベーションになってるかもしれない、どちらにしても広い意味での人間関係と言えそうだ。

 

しかし、悩んでる当事者にとって悩みは深刻だから感情的に捉えがちだが、解決に向かう際には理屈の助けを借りることになる。

 

 

リンク先の記事に書いてあることは、

 

 

「意思決定にはポリシーかセオリーか普遍な事項かの3つしかない」という投稿がありましたね。読んでいて非常に深津さんらしい考え方だなと感じました。(参考:深津 貴之(fladdict)|note 『本当に意思決定が必要なことって、実は少ないかもしれない』

 

 

「ポリシー」の話というのは、今日は寿司とカレーのどちらが食べたいのかという悩みです。

 

「セオリー」の話は、カレーが食べたいのでその作り方を知りたい場合

 

「絶対不変のルール」の話は、カレーの具は煮込みすぎると崩れるとか、具の鶏肉は40~50度でタンパク質が硬くなりはじめるとか、そういう物理法則に逆らおうとするのは時間の無駄

 

 

 

ところで、悩みの種類が何であれ、悩みというのは生き物では人間だけの特権で、おそらく脳に由来するものだろう。

 

 

悩んでる人は気付きにくいかもしれないが、数ある選択肢の中から「悩むこと」を自ら選んでいるのだ。

 

悩むとは、意志の力のなせるわざだ。

 

そんな意志の力は有限だという事もあまり知られてない真実の一つだ。

 

「意志の力」が減っていく理由

「食べないでいるためには意志の力が必要だが、意志の力を得るためには食べることが必要なのだ」

 

「自制が最もよくできている人は、一日中自制を使ってはいない。自制心を節約できるように生活を構築している」

 

 

悩み続けるというのは、ものすごい意志の力が必要なのだ。

 

その意志の力の強さは、下記のツイートに添付されてる悩みのように、怨念に通じ死後も生き続けるのではと思えるほどのことがある。

 

 

世の中には、知ってるようで知らない(実感してない)真実があり、そのひとつひとつが分かった途端に新たな悩みを生み出す。

 

 

 

 

しかし、これらも突き詰めると人の営み方に起因しているので、人間関係と言えるだろう。

 

しかし、当事者の多くは人間関係に悩んでいるとは捉えない。

 

悩みの相手がどこの誰がハッキリしてるものは人間関係と認識するが、それ以外は損得や合法非合法という尺度で捉えがちだ。

 

全面的に解決できる方法はないが、絞り込むことはできる。

 

人間関係の悩みどころを限定することはできそうだ。

 

  1. 受け容れられる人は受け入れる
  2. 受け容れられない人とは交わらない
  3. 交わりたくない人を避け続けるには限界がある

 

 

この程度を意識するだけでも、自分の居場所が快適に近づくはずだ。