違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

ストレスを「良い正夢」に変える方法!

自覚を伴わずに行なっている活動がある。

 

特に睡眠中の出来事には謎や不思議がたくさんある。

 

いつもと同じように眠っているつもりでも、眠りには違いが生じてることが多い。

 

睡眠時間の不足や眠り過ぎは、どちらも体にも心にも悪いことはよく知られるようになったが、睡眠中の夢が良くない状態を示すということは案外知られていない。

 

睡眠中の夢は、心がストレスを抱えていることを示しているらしい。

 

夢の内容に関係なく、種類の違いはあっても、ストレスが原因であることは間違いないらしい。

 

そうすると、正夢や「夢のお告げ」のように、夢で見たことが現実に起こるという現象はどのように説明されるのだろうか?

 

正夢を語る時、相性が良い言葉に「念じる」がある。

 

「念じる」には、少し変わった力が宿るように感じられる。

 

夢がそもそも良くないものならば、夢で見たものはストレスの産物と言える。

 

正夢とは、夢で見たことが現実に起こることだが、良いこともあれば悪いこともあるだろう。

 

結果が良いか悪いかに関係なく、大元がストレスだとするならば、ストレスが強迫観念となり強い暗示がかかったと考えられる。

 

「念じる」とは、強迫観念であり、強い暗示なのだろう。

 

だとすれば、上手にセルフコントロールできればストレスを上手く使い、良い正夢に近付けることができそうな気がする。

 

車の運転でも事故を起こす時は、車が進んではいけない方向に目線が向く、二輪車の場合はもっと顕著に出る、しかしこれは訓練で常に進むべき方向に意識を集中させることは誰にでもできる。

 

人生の舵取りは、車の運転に比べるとはるかに抽象的になりがちだ。

 

具体的に語ってるつもりでも、気がつくと形容詞のオンパレードになる。

 

ストレスを感じさせる方向と、本当は進みたい方向の違いをはっきり自覚できてないので、良い正夢が珍らしいレアケースになる。

 

どうやってもストレスは避けることはできないので、どうせだったらストレスを逆手に取るのも悪くないはずだ。

 

 

リンク先の記事には、

 

明晰夢は不安障害や悪夢障害といった症状を和らげる療法として注目されている。明晰夢を見るときはそれが夢であることを自覚しているわけだが、不安の対象から距離を置くことによって、客観視することができるようになるようだ。

また、夢の中では通常は不可能な動作が自由自在にできるため、明晰夢を通じて運動選手がトレーニング効果を高めることにも利用されているという。

 

 

1、問題の内容を簡単に書いたメモをベッドの横に置いておく

2、ベッドに入る前、その問題について2~3分おさらいする

3、ベッドに入ったら、問題を明確なイメージとして視覚化することを試みる

4、眠りに落ちる際、その問題に関する夢を見たいと自分に言い聞かせる

5、目覚めてもしばらく横になったままで、できるだけ多くの夢を思い出し、内容を書き出す

問題解決に夢を使うための訓練法

 

 

 

方向性が定まれば後は「念じる」だけだ。

 

 

人生の3分の1は睡眠だとすれば、上手に利用したいものだ。

 

人が「新しい場所」で眠るとき「脳の半分は起きている」:研究結果

「人が新しい環境にいるとき、自己防衛のための夜警活動として、脳内の徐波活動、警戒、反応の部位で、左右半球の非対称現象が発生する」

 

ところで、次の話は良い夢なのかそれとも悪夢なのだろうか?

 

錬金術の一種と言えるだろうか?

 

今日知ったが、調べてみると1年前から盛んに取り上げられてる話題だった。

 

合成ダイヤ 本格参入「脅威には感じていない」

合成ダイヤモンドは天然ダイヤと見た目や輝きだけでなく、科学的・物質的特性も同じで、価格は相場の半額以下と安く設定できるため、市場を大きく変える可能性があると指摘されています。

 

価値は、希少性や再現性の無さに宿ることが多いが、この合成ダイヤはベテラン鑑定士でも肉眼ならば全く見分けがつかず、違いはベテランが顕微鏡を使ってやっと気付く程度らしいし、気付くその違いとは「合成か天然か」の違いであり「本物と偽物」ではない、大事なことはどちらも本物のダイヤモンドだということだ。

 

こういう話を知ると、個人的には好きな話ではないが、これからは現実(Real)と仮想(Virtual)の境目が曖昧な時代が来るかもしれないと少し恐れる。

 

一般的にはVirtualの反対はRealだと思われてるが、実際にはPhysical(物理的、肉体的)の方がより当てはまることが多い。

 

正夢を上手に使おうというつもりで書き始めた今日のエントリーだが、これは夢という脳内のVirtualな世界観を、現実というRealな場に持ち込む話であり、しかも夢はそもそもストレスであり、そんな話を勧めるわたしは本音ではVirtualなものを否定的に捉えているという矛盾に直面して少々戸惑いながらもおもしろいなとも感じている。

 

こうやって書きながら一つはっきりしたような気がするのは、やっぱり「夢はストレス」なんだということだ。

 

だからこそ言いたいのは、

 

 

 

 

いい夢見ろよ!