違う見方

複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

すべてつながっている!?

いつの頃からか、怒りの根底に許容範囲の逸脱が関わってるなと感じる出来事が増えている。

 

「正義と悪」や「正しいと間違ってる」のように、白と黒を語っているつもりだったことが、グレーのグラデーションを白だ黒だと言い合うようになっていると気付く出来事が増えている。

 

白も黒も両極端なグレーなのだ。

 

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過ぎたるは及ばざるがごとし。

 

白を語っているとグレーを黒だと感じ、黒を語っているとグレーを白に感じるというのは、感覚には許容範囲という幅があり、この幅が人によって違うからだ。

 

何事も、「一定の範囲」が許容範囲として共有され、その「一定の範囲」が必ずしも明文化されるわけではないが常識に近い暗黙のルール的に機能している。

 

匂い(臭い)に関することなどは、その代表格だろう。

 

 

マナーを巡る問題は、常に許容範囲が問われるが、多くの場合良識という各々のモラルに委ねられることが多いが、文言上は一致していても実生活の場では大きな不一致が生じることは珍しくない。。

 

そして、この不一致は度が過ぎると規制が介入せざるを得なくなる、それは楽しいはずの場でも起こる。

 

私設応援団お断りについて  eikichiyazawa.com/yazawaclub/info

矢沢永吉のコンサートでは、かねてより、周囲の人に威圧感を与えるような私設応援団の活動、旗振り、特攻服などの威圧行為の禁止、周囲に迷惑となる永ちゃんコールの強要・煽りの禁止、飲酒入場の禁止といったルールの強化を行ってきました。こういった規制を設けたのは、私設応援団を名乗る一部の集団による威圧や強要、一部のファンの飲酒による周囲への迷惑行為に対するクレームが後を絶たず「コンサートに行きたいけど怖くて行けない」という声が多く寄せられる以上、必要な決断でした。

 

「度が過ぎた」話はよく聞くが、次の話は「及ばなかった」話だ。

 

 

 

リンク先の記事には、

 

 

「ケイのテニスはものすごく面白い。さまざまなショットを繰り出して我々を飽きさせないが、いかんせん話がつまらないからね」と、英国人のベテラン記者がこう続ける。

 

 

協会の広報が『試合の質問に限ります』と遮ったことには驚きました。通路で顔馴染みの選手と話しているだけなのに、やめて欲しいと怒られた記者もいるそうです。なのに日本の新聞記者は協会に抗議するどころか、ワンパターンで当たり障りのない質問しかしない。錦織の例で言えば、デビュー当時から本人や家族のご機嫌取りのような記者が多いと聞きました。

 

 

 

 

許容範囲は、命令されて出来上がるものというよりは、空気が作るような静かな流れで出来上がるものが多いが、錦織圭のような「及ばない」ケースでは過保護や甘やかしが見えてくる、そして度が過ぎて逸脱する場合は、権力や暴力が顔を覗かせる。

 

 

 

昨年のカルロスゴーンさんの逮捕劇。

 

 

 

当初は、横暴なゴーンさんを日産の経営陣や社員が懲らしめる動きだったが、

 

 

いまやゴーンさんの立場は横暴を振るわれる側になっている。

 

この問題は現在様々なところに飛び火していて日本とフランスの問題になり、2020年の東京オリンピックまで関係してきている、グレーを白か黒かにはっきりさせるためのはずだったが、グレーなものをドロドロに煮詰めてなんだか訳のわからないものにしてしまったようにも感じられる。

 

こんな事件も起きている。

 

 

 

黒いものを白だということも、その逆も、結構無理が生じるが、グレーなものを黒だ白だと論じるのは簡単だし、一見無理がないように見えてしまうのだ。

 

最近そういう事ばかりが起きているような気がする。

 

その究極がこれかもしれない。

 

 

 

白か黒かをはっきりさせるということは一見潔いのだが、実はグレーを許容しないということで嘘やごまかしと紙一重の行為で、ごく普通の日常生活にもたくさん起きるできごとだ。

 

 

リンク先には次のような回答がある。

 

このタイプの人はなんでも白と黒をはっきりさせたい傾向がものすごく強い。人間関係においても「敵か味方か」で人を判断するので、好きな人はすごく大切にするけど、一度嫌いになったら二度と会わないなど、極端な判断をして派閥やグループをつくりがちです。

 

でも、相談者本人も気づいているように、それじゃあ本人も周囲も苦しいんですよ。なので、この人はまず、白黒つけようとせず、グレーを許す努力をしてみる。自分にとって「100点じゃないけどOK」というのはどこなのか、及第点を見つける努力をしてみてください。

 

 

こうやって見ていくと、グレーな存在を必要とするのは弱い立場や虐げられてる立場に多そうで、白黒を付けたがるのは権力を持ってる側であり、権力に取り入ろうとする立場だと見えてくる。

 

グレーゾーンのアピールが増えているのが現代の特徴だとすると、その理由の一端に、権力の移動が起きていると言えるかもしれない、と気付く。

 

権力者の権力が少しずつ弱者の側に分散し移動し始めているのかもしれない。

 

個々の人間に運命があるように、その集合体である人間全体(=人類)にも運命があってもおかしくない。

 

そういう目で見ると、世間で起きる出来事は皆運命の赤い糸で繋がっているかもしれない。