違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

【克服法】視線耐性って知ってる?

『視線耐性』ということばがあるらしい。

 

AERAの最新号の巻頭特集「見るのも見られるのもイヤ」で用いられてるのを見て、初めて知ったことばだ。

 

 

最近増えたいつもマスクをしている人達にも共通する心理があるようだ。

 

AERAの記事には、取材に応じた女性の「もはや自分にとってマスクは『顔パンツ』です。つけていない姿を世間にさらすのは恥ずかしい」という名言も載っている。

 

世間にデジタルが溢れ、スマホをはじめとしてコミュニケーションの基本が対面に拠らないものがプライベートでもビジネスでも増えたことが背景にあると解説されている。

 

視線耐性が低いと、友人同士や恋人同士でも目を合わせることを避けようとするらしい、だから視線耐性が低い人同士は店を利用するときは横に並べるカウンタータイプを好むらしい。

 

見られることがイヤな人が、見ることをイヤがるのは自然な行動に感じられる。

 

見られることも見ることもイヤだという場合の見るものとは、『相手の目=相手の視線』だ。

 

コミュニケーションの基本は「相手の目を見て話すこと」と言われるが、だとするとその基本がこの数年で急速に崩れているかもしれない。

 

この基本を身に付けて普通に実践してる人からすると、視線耐性が低い人は、自己肯定感が低い、自分に自信が無い人と映る。

 

しかし、視線耐性が低い人が多い場だと、基本を身に付けた人は人を無遠慮にジロジロ見る気持ち悪い人に映るかもしれない。

 

 

わたしは、基本を身に付けた側の人間だが、そんなわたしでも少し種類は違うが似たような体験がある。

 

わたしは中学に上がったくらいから急速に視力が悪くなった。

 

母が強度の近視だったので遺伝でしょうがないと思っていたが、当時メガネをかけることはカッコ悪いことだったので、メガネを持っていても使うことは少なかった。

 

そんな生活が続くと見えてない状態が生活に支障が無ければ許容範囲に収まり自然なこととなる。

 

わたしが学校でメガネを使うのは雨や曇りで外が暗い時くらいだったが、そんな時に気が付いたら思うようになったことが、相手の顔がはっきり見え過ぎて気持ち悪いということだった。

 

ニキビの跡やヒゲや鼻毛、見えなくてもいいものが見える不快感だった。

 

そして、そんなある日ふと思いついたことが、わたしにとってはメガネをかけた時だけ見えてることは、視力が悪くない人にはありふれた日常で、そんな目でわたしは見られているのだということだ。

 

ふだん、自分が鏡を見ても気付かないことに、周りの人は自分より先に気付いているのかもしれないという気持ち悪さだった。

 

この気持ちは、中学高校とあったような気がするが、気が付いたら無くなっていた、おそらく大学入学がキッカケで治ったような気がするが、だとすると自己肯定感が大きく影響してるのかもしれないと思える。

 

ただ、克服したというよりも消えて無くなったという感じだ。

 

 

だから、視線耐性には視力や見方もキッカケとして関係してるかもしれないと、少し感じている。

 

 

視線耐性のチェック方法として、

 

 

視線耐性ということばが出てきたということは、「視線耐性が低いこと」は病気と認定される可能性が大だろう。

 

そうすると、対処するための各種セミナーや薬が出てくることは間違いないだろうが、私がそうであったように、キッカケ次第で簡単に解消する。

 

 

 

リンク先の記事では、メディアへの接触時間を減らすことが大事だと書いてるが、少しピント外れだと感じる。

 

ただ、スマホやパソコンなどのデジタルデバイスを長時間使い続けるその姿勢には問題が多いかもしれない。

 

視野や視界が狭くなることが良くないのではと感じられる。

 

カメラに例えるならば、圧倒的に多くの日常をズームやマクロで見ていて、広角で捉えることが少ないから起きてる現象に思える。

 

ズームやマクロの良さやおもしろさは専門性やこだわりを活かす場合に向いているが汎用性は低くなる、それに対して広角は汎用性は高いがおもしろみが少なくなる。

 

これらは、交互に使い分けることで互いの魅力が出てくる。

 

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https://www.maturikun.com/beginner-canon-lens

 

 

視線耐性が低い状態は、上図のピンクの度合いが強くかつ手前ばかり見てるのだ(私の解釈)。

 

視線耐性が低く、かつデジタルの使い過ぎに自覚がある場合は、視線を上げて周りや遠くを見る習慣を徐々に増やせば良いだろう、その際に他人の顔ではなく背景や風景や景色に目を向けるとやりやすいだろう。

 

視線耐性が高い低いという話は、楽観主義と悲観主義の関係に良く似てそう!