違う見方

複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

生きることは、『プレゼンテーション』し続けること!

『プレゼンテーション』ということばを多くの人はビジネス用語だと感じているだろう。

 

学生だと発表の場を思い浮かべるかもしれない。

 

ステージ上で資料やデータをスライドで示しながら聴衆にアピールすることをイメージし、そのプレゼンテーションの達人として未だに頂点に君臨してるのが故スティーブ・ジョブズだ。

 

wikipediaにはこのように書いてある。

 

作品、計画提案、研究成果、開発商品などの情報を、聴衆に対して発表し伝達することの意味であるが都市建築分野では、計画の提案内容に関するプレゼンテーションをクライアントや関係者(影響を受ける人たち)に対して行う場合が多い。

 

プレゼンテーション(presentation)は名詞で、動詞はpresent。

 

日本語でpresentは、贈り物を意味するプレゼントを真っ先に思い出すが、この単語は実に多様な意味を持っていて、元々の日本語には似た概念がないかもしれない。

 

present

 

 

主な意味

 

現在の、現…、今の、今日の、当面の、居合わせて、出席して、参列して、あって、忘れられないで

 

 

コア

:   存在している、人の前に差し出す

https://ejje.weblio.jp/content/present

 

 

 

 

 

プレゼンテーションは、積極的な能動性が求められることばのようだ。

 

小さい子供が、「遊びたい」を始め「〇〇したい」と表現するのは立派なプレゼンテーションであることは言うまでもなく、「〇〇したくない」ですら、そこに積極性があればプレゼンテーションと言える。

 

しかし、この態度がプレゼンテーションとして通用するのは期間限定だ。

 

なぜなら、プレゼンテーションは、

 

①積極的な自分の気持ちや意志を伝える、ということと、

②その話を聞かされる相手にどのように伝わるか、

 

の二つによって構成されるのでこの二つが意図したように両立しなければプレゼンテーションは失敗となるからだ。

 

子供のプレゼンテーションの成立が期間限定になるのは②の要素が無いからだ。

 

このように考えると、プレゼンテーションには心理学的な要素が大きく関係することが分かる。

 

 

 

そこで、心理学に目を向けると、プレゼンテーションに心理学が欠かせないように、心理学にもプレゼンテーションが密接に関係してることが見えてくる。

 

心理学は、大雑把な言い方をすると元々は「心を病んだ人」を対象にしながら発達してきた。

 

しかし、その応用範囲が拡大するにつれて、心理学も「誰に向けてのものか」というプレゼンテーション要素が求められるようになり「対象者」という概念が持ち込まれるようになってきた。

 

 

そして現代では、病人だけではなく健康な人も含めた全ての人が対象になっていると言って良い。

 

なぜなら、全ての人が悩みやストレスやトラウマを抱えて生きているからだ。

 

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病人を対象としていた心理学は、病の原因を心が抱えてる重荷であると考え、その重荷が何であるかを解き明かすことや、その重荷がどのようなメカニズムで心にダメージを与えるかの解明が目的化していた。

 

そして、そのうちの一部は重荷の正体が分かることで重荷が消えることもある。

 

しかし、多くの場合、重荷の正体が分かっても、あるいは、重荷が心に作用するメカニズムが解き明かされても、重荷が残っている限り、何の解決にもならない。

 

そこで、生まれたのが人間性心理学というジャンル。

 

「なぜそうなったのか」を解き明かすだけではなく、「これからどうするのか」こそが目的だとする心理学。

 

 

 

数ある人間性心理学の中でも最近人気なのが「アドラー心理学」。

 

アドラー心理学の真髄は『楽観主義』に近いかもしれない。

 

ただ楽観主義と言うと、「いいかげんでテキトー」というイメージを受けるかもしれないが、楽観主義は悲観主義とセットで使い分けが大事になる。

 

その使い分けとしてわたしが名言だと思っているのがこれだ。

 

 

そして、日本人の場合は、もう一つセットで覚えたいことばがある。

 

 

佐々淳行さんが言った「危機管理」の部分は「プレゼンテーション」と置き換えても良いかもしれない。

 

共通点は、『悲観的に準備し、楽観的に対処する』。

 

この共通点って、ことばにするとわかりやすいが具体的にどうするのかと問われたら、答えは非常にばらけるだろう。

 

この答えは、頭で考えるよりも、経験や体験がものを言う。

 

経験や体験は、「疑似」でもリアリティを感じられれば構わないはずだから他人の経験や体験は大いに参考になるはずだ。

 

だから、スティーブ・ジョブズを意識し真似ることは悪くないが、聴かされてる側がジョブズのモノマネだと感じたら失敗で、そうなると聴衆は話の中身には耳を傾けていないだろう。。

 

 

人間関係を、コミュニケーションと呼び、その重要性には気付いていても、コミュニケーションと呼ぶと「give&take」の世界観の「持ちつ持たれつ」の香りが漂うが、人間関係もプレゼンテーション関係と捉えると、「伝えるor伝わる」となる。

 

言いたいことだけ言うと勝手に伝わったと思っていても、プレゼンテーションが失敗してれば、言ったことは全く伝わっていない。

 

こう言うことを踏まえると、一見もっともらしいことを言ってることばの中には、「それってプレゼンが失敗してるんだよ!」と言うものがうかがえる。

 

例えば、

 

 

わたしには、「プレゼンの大失敗の見本」の上から目線の一方通行にしか見えない。

 

このツイートに書かれているのは、伝わらない話をした人が、どう言う仕打ちを受けたが書いてあると感じられる。

 

少し前まで、わたしはこのような態度を「老害」と呼んでいたが、むしろプレゼンテーションの失敗で話が伝わらなかった結果と見る方が的を射てる気がする。

 

 

人生とは何だろうか?

 

重荷を背負った人は必ず直面するテーマだ。

 

 

パンダだってコミュニケーションは取っているのは写真を見ればわかる。

 

では、パンダはプレゼンし合っているだろうか?

 

 

 

 

日本語はハイコンテクストだと言われる。

 

ハイコンテクスト文化では、「言わなくてもわかる」という空気を読むという文化が成立しやすいが、プレゼンテーションはその反対のローコンテクストな文化だ。

 

ハイコンテクスト文化とローコンテクスト文化

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心理学とも接点が深い心の病はハイコンテクストと相性が良いのは、「言いたいことが言えない」につながりやすいからだ。

 

 

日本で生活する日本人は、ハイコンテクストとローコンテクストの違いを意識することなく、振る舞いだけをその時々に応じてなんとなく空気を読みながら使い分けようとしてるだろう。

 

しかし、肝心なところで使い分けを間違うことはあるはずだから、どう振る舞ったら良いかが新たな悩みになる。

 

そんな時に備えて、世の中にはローコンテクストとハイコンテクストがあると言うことを理解しておくだけで心の準備ができるだろう。

 

 

使い分けが難しいと感じるならば、ローコンテクストに振る舞う方が気が楽だ。

 

相手にプレゼンして内容を伝える。

 

相手からプレゼンしてもらい内容を理解する。

 

 

ハイコンテクストに馴染んだ日本人には、プレゼンテーションの場は、度胸試しのような、肝試しのようなものだと感じる人が多いが、それこそが悲観主義に通じる。

 

もし、楽観主義になりたいならば、心の重荷を軽くしたいと思うならば、一事が万事プレゼンテーションを意識することだ。

 

勘違いしてはいけないのは、言いたいことを言うのがプレゼンテーションではないと言うこと。

 

主導権は相手にあるので、伝わるように伝えることが大事になる。

 

だったら、知っておいたほうが良いのが「人間性心理学」。

 

オススメは、アドラー心理学!