最初に少し前置きから。
先人の言葉を頼りに哲学的に人生を定義すると、“問題や課題を自分で設け、その答えを見つけていくと言うことの繰り返し”となりそうだ。
この簡単そうであまりにも当たり前のことは、実はかなり難易度が高い。
だから、昔から人々は『この人の言うことを聞いてれば間違いない』という存在を求める。
大昔は、何もかもが分からないことだらけなので、「知識がある人」や「頭が良い人」や「(現代で言う心理学のように)人の気持ちや心が分かる(読める)人」が、そういう存在になって行き、やがて学者や宗教家やそれぞれの地域のリーダーになって行った。
“分からないこと”は、地域や時代によって変化するので、『この人の言うことを聞いてれば間違いない』という存在もそれに連れて変化する。
こういうことを繰り返しながら現代に至っているが、現代の『この人』とは誰なのだろうか、と言うよりももはや『人』ですらないかもしれない。
ムラ社会や縁故採用や賄賂や裏口入学など、表面的にはお金の問題のように見えても、その場に辿り着くためには人間関係が不可欠だったりする。
そして、改めて考えると気付くことが、『この人の言うことを聞いてれば間違いない』という存在を求める前提は、『自分自身が信用できないから』かもしれないということ。
〜〜前置き終わり〜〜
大昔に比べると、現代人ははるかに持っている知識は増えているが、その知識は『知恵』にはなっていない。
人間関係は『知恵』のようなものだったはずだが、現代では人間関係は単なる知識のようなものになっている。
日本以上にシリコンバレーはムラ社会。インナーサークルに入るためには信頼と評価を積み上げ、人間関係を築き上げていくしかない。モバイルゲームから始まってVR/ARとしっかりと現地に張ってきたことが今に凄く繋がっているのを感じる。 https://t.co/pDOCZs9mas
— 国光宏尚 (@hkunimitsu) October 14, 2017
リンク先の記事には次のような文がある。
では日本から来た人がシリコンバレーで「評判」と「信頼」を手にするにはどうすればいいのか?これは時間をかけて少しずつ積み上げていくしかない。とにかく「give」することを考えて「take」はその後で、とよく言われるのはこの「評判」と「信頼」を作るためである。
日本からの赴任者でよくあるのが、せっかくシリコンバレーに来て3年くらいかけてそれなりの「評判」と「信頼」を積み上げたのにも関わらず、ローテーションなどで帰任になってしまうというパターン。人と人のネットワークは会社の看板についてまわるものではないから、その人が帰ってしまってはせっかく積み上げたものがゼロリセットになってしまう。
知識を知恵にできない場合に、意図しないリセットという現象が起きているかもしれない。
「三人寄れば文殊の知恵」という諺があるが、このことばは良い人間関係の基本を教えてくれていて、三人で文殊に匹敵する知恵が出せるために必要な条件は、
- 多様な価値観を許容できる
- メンバー同士が独立している
- メンバー内に権力格差が無い
- 意見をまとめる仕組みがある
これらの条件が成り立たない場合には、人間関係のリセットのモチベーションが上がるだろう。
ところで、意図せずに起きる人間関係のリセットにテクノロジーが関係してるかもしれない。
IT技術以前のテクノロジーの普及の推移を見ると、人間関係が「集団から個へのシフト」が1970年代から急激に進んでいたことが分かる。
https://diamond.jp/articles/-/55569
イノベーションとも言えるテクノロジーは、おそらく人間関係にも影響を及ぼすとすれば、普及の仕方とも関係するはずだ。
普及の拡大に反応している層は、時系列ごとに変化しているので、下記の図のようになる。
https://www.mitsue.co.jp/knowledge/marketing/concept/diffusion_of_innovations.html
下図は技術が普及する際のハイプサイクルと言われるものを示したもので5つある。
- 黎明期
- 流行期(下図ではピーク期)
- 幻滅期
- 回復期(下図では啓蒙活動期)
- 安定期
https://www.eyjapan.jp/library/issue/info-sensor/2014-04-10.html
現代のように、多様なテクノロジーが次々と登場すると、どの技術をどのように評価するかだけでも人々は“ふるい”にかけられるような状態になると言えるはずだ。
価値観やセンスの違いも露呈させるはずだ。
テクノロジーの発達が、昔ながらの知恵を知識に逆戻りさせたものがたくさんありそうだ。
現代人は、知恵を減らして知識で武装しようとしてるように見える。
知識で武装する際の合言葉が“エビデンス”。
『この人の言うことを聞いてれば間違いない』という存在が、テクノロジーが関係すると、ただの断片的な知識に過ぎなくなってしまっている。
「地方大学で若手を公募すると100人、200人の応募がある。とても一人一人を審査しきれず、有名雑誌に掲載され論文数の多い人から選ばれることになる。だが東大や京大の大きな研究室で研究ができても、地方大の資金繰りの厳しい環境で知恵を絞る研究に向かない。」https://t.co/V6fcrgwfuc
— 鍵 裕之 (@hirokagi) March 3, 2019
「タダほど高いものはない」という表現があるが、テクノロジーの発達は、もともとタダだった知恵をとてつもなく高いものにしてしまったようだ。
全てが知識化する現代は、
知識は共有できても、
知恵の共有が難しくなっていて、
その影響が人間関係にも現れている!