違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

同じように見えて違うこと、違うように見えて同じこと

世の中には、周回遅れの話と一周先を行く話が同時に存在することがある。

 

しかし、走ってる姿だけを見ると、ある瞬間に於いては両者は競り合っているように見える。

 

 

 

 

 

世の中には下図のように、振り子の動きのような、音のうねりのような現象で説明できることがある。

 

振幅の上と下あるいは左と右を比べると大違いだが、実は“一つ繋がり”で根は同じということがある。

 

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図の引用は、↓↓

http://yaruoamp.blogspot.com/2016/06/1-6.html

 

 

大勢の人間がいると、振幅も周期もまるで違う人ばかりになるのは珍しいことではない。

 

むしろ、一致することの方がかなりのレアケースだと思っておいた方が良いかもしれない。

 

情報には、良い悪いは別にして、上記のツイートのように両極端に違うこと(考え方)が話題になる場合と、本質的には同じことなのに差別化したり、区別したりするものもある。

 

例えば、「流行と定番」という切り口で差別化されたり区別されるが、中身は同じ物というものがある。

 

 

 

 

同じものでも、流行と捉えられれば一過性と位置付けられ、定番と捉えられれば時の流れに負けない存在になる。

 

では、『昨日の自分』『今日の自分』『明日の自分』これらは同じなのか?、それとも違うのか?

 

哲学的に捉えたり、細胞の新陳代謝として捉えたり、多面的に捉えることができるテーマなので答えはいくつもありそうだ。

 

では、『役に立つ』と『役に立たない』はどうだろうか?

 

 

『役に立つ』ことの事例を上げろと言われたら上げることはできるが、『役に立たない』ことの事例を上げろと言われたらちょっとした難問になりそうだ。

 

 

同様に、『やり甲斐がある』と『やり甲斐がない』の違いもイメージは明快だが、具体的な事例を上げて説明するのは意外と難しい。

 

やり甲斐は、理屈で語られるが、実は“感情”だから。

 

 

このように考えると、ポジティブなことで悩むことは一見崇高だが、実はどうでも良い悩みと紙一重に感じられる。

 

逆に、ほとんど同じで大した違いがあるとは思えそうにないことの中にこそ本質的な違いが隠れているのかもしれない。

 

遠くに感じられることは案外近くに存在し、近くにあると思ってることこそ遠くにあるかもしれない。