違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

流動性 vs マッチング

人の出会いを求める求人分野では、就職や結婚も『マッチング』というワードで語られることが当たり前になってしまった。

 

大学や予備校では生徒は先生を選ぶことが当たり前になるが、それ以前の学校生活では先生は選べない存在だったから、先生とのマッチングは大きなテーマではあってもどうしようもないことだった。

 

出会いをマッチングで実現しようとする場合、両方ともが求め合ってると言うよりも、片方が求めていて、もう片方は求められようとしていることが前提であるように感じられる。

 

両方が求め合う場合には、合意や同意が大事になり、その関係は完全に対等になるが、そうでない場合は力関係や市場原理などが働くので実質は対等にはならないが、法律や規制で対等だとされている。

 

こう言うことを考えていると、対等な関係には流動性があるような気がしてくる。

 

 

 

変化に対する適応性や、変化への対応の柔軟性が生まれる場には流動性が感じられるのは、時代との関係が対等だからかもしれない。

 

次のツイートは、受け身で読んでると勘違いしそうになります。

 

 

かつて川のように流れる存在だった大学は、いつのまにかダムのような大量の溜まり水になっていたのだ(されていた)。

 

 

人の動きが関係する場には、マッチングという概念が浸透しているが、これは日本で生活してると分かりづらいかもしれないがガラパゴスな仕組みが関係している。

 

 

このような仕組みの下では、

 

 

このような考え方をすると、大事なことは、

 

  • 流動性

 

  • 対等

 

にあるような気がしてくる。

 

この流動性と対等性を高次元で実現してるのが、実はマネーというシステムなのだ。

 

諸悪の根源のようでもあるが、もっとも偏りの少ない価値を提供するのがマネーなのだ。

 

マネーという存在が“完全”に近いが故に、皆がそこに集中していて、本来は流通性が高いマネーの動きが偏り出したことに、よく言われる『格差』のルーツがある。

 

ここから先は、いろいろな考え方があるだろうが、大事なことはマネーの流れを見つけたり作り出する能力やセンスだ。

 

当たり前だが、これらの答えを知ってる人がいたら、決して教えるわけがない。

 

流動性が低い分野には、マッチングというタイトルが待ち構えている。

 

 

 

無理があるマッチングの世界には、束縛の臭いがプンプン漂う。

 

マッチングを先に実現しようとすると流動性と敵対し、マッチングそのものが成立し辛いが、流動性を先に実現するとその先にマッチングが成立すると分かる。

 

 

人でもマネーでも、『財』と名が付くものには流動性が大事!