大人気のアドラー心理学。
アドラー心理学そのものを知りたいと考える人もいれば、アドラー心理学を活かした処世術を知りたいと考える人もいる。
アドラー心理学をザックリ説明すると、個人を対象にした心理学で、他の心理学の多くが人間を対象にすることとの違いがある。
さらに、人は(相対的な)マイナスからプラスへ向かう生き方をすると説く。
つまり、アドラー心理学は、現実の状態がどうであれ、生きていれば良いことがあると言ってるように感じられるので、アドラー心理学を知った人の気持ちを良くしてくれる効果があるが、部分的につまみ食いをして都合良く解釈することも可能なので、ブラックな環境での人心掌握術として使われるケースも多い。
現実の世の中には、敵のような味方もいれば、味方のような敵もいる。
そして、さまざまな処世術が存在するが、どれが良いのかもわかりにくい。
敵と味方という単純な分類ですら、見分けが簡単でないことを次のツイートが教えてくれる。
単に「長い物には巻かれよ」という内容に過ぎないことでも斜に構えて言えば「冷徹な目を持ったリアリスト」になる。
— maruan (@maruan21306641) March 17, 2019
正義を求める思考はデジタル的であって、グラデーションのあるアナログ的な現実を認めようとしない。敵か味方か、役にたつかたたないかで二分して考える。一部が是であれば全てを認め、否であれば全てを否定する。それは現実を不毛なものにする。そのような人は不毛な世界を生きることになる。
— leonardo (@masumind) March 17, 2019
人がアドラー心理学に惹かれるのは、自分の生き方に自信を与えてくれるからだ。
人間という一般論で語らずに、個人に焦点を当て、悩みは全て人間関係に収束すると捉えることで、問題点が把握しやすく、その対応策も導きやすいから、自信を持って取り組めそうな気になれるのだ。
しかし、わかりやすいものには誤解も多いのだ。
わかりやすいので、都合良く解釈しようと思えばできるのだ。
アドラー心理学を誤解して対人でやらかしても嫌われる勇気!と唱えればそれなりに心が軽くなるしそれはそれでただ図太いだけちゃうかと自分で納得して今日も笑顔で頑張る皆さんおはようございます
— 平次 (@blackbird8375) November 7, 2018
悩みは全て人間関係から生じると説くアドラー心理学では、嫌われる勇気は重要なテーマだが、この際にセットで使われるのが『他者を信じるにあたって、いっさいの条件をつけない』というセリフだ。
信者が教祖を信じる場合には成立するだろうが、逆はどうだろうか?
また、この関係性は上司と部下の関係にも応用されやすいが、それも間違った使い方の臭いが漂う。
さまざまな人生相談を受けた加藤諦三さんは、こう言っている。
現実は味方。
(現実を)敵と思ってる人生は挫折します。
現実に起きてることは、それが良いことだろうと悪いことだろうと受け入れて、その上でどうするか?、を考えるしかない。
この『現実』の捉え方の違いで最初の差がついて行く。
アドラーが言った、「他者を信じるにあたって、いっさいの条件を付けない」の『他者』は『現実』と置き換えた方が相応しいかもしれない。
人間関係を考える際の最大の呪縛が、人は一人では生きられないという意識だ。
結局、日本がいつまで経ってもブラック気質なのは、アドラー心理学の本のタイトルよろしく「嫌われる勇気」がないから、ではなくて「他人を完全に捨て去ってたった一人になる勇気」「世の中から全く相手にされなくなっても生きる勇気」「社会から転落する勇気」がないからに尽きるのだなあと思った。
— 徹明 (@moggy1000) May 23, 2016
アドラー心理学は、良いことをたくさん伝えるが、それは残念ながら敵にとっても同じだと思っておいた方が良い。
敵もアドラー心理学で攻めてくるのだ。
そうすると拠り所はただ一つとなる。
現実をどのように捉え、どのように解釈するか、という純粋に自分自身の問題になって行く。
戦いは、その解釈を巡って展開して行く。