違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

ダイレクトメールからDMへのシフトに感じる個人情報に対する意識の変化!

本棚にある古い本を見ると、巻末の著者の名前の横に住所が併記されていて、「これはおそらく個人宅だよな〜」としか思えない住所が表示されていることがある。

 

こういうことを調べる時にTwitter検索は便利だ。

 

 

 

 

 

 

有名人が連絡先や自宅住所を公開していた時代には、「弟子にしてください」という突撃ドラマがあったという話はよく聞いたものだった。

 

個人情報が安易に公開されていたのは、警戒する理由がなかったからだろうが、有名人宅に泥棒が入る場合などには利用されていただろう。

 

しかし、近所の人なら誰でも知っている情報なので、泥棒が目を付けても誰も何も疑問を持たなかったのだ。

 

世間で、個人情報が漏れてることを気持ち悪いと感じ始めたキッカケは、ダイレクトメールによる販促資料が送り付けられるようになってからだ。

 

「こんな会社知らないのに、どうしてウチの住所が分かったんだろう?」と感じるようになったからだ。

 

個人情報の取り扱いだけではなく、説明が必要な情報の伝達の主力が郵便だったということも大きかったのだろう。

 

ダイレクトメールが届くことを「気持ち悪いね」と高校生の頃に家族で話したことがあることを覚えている。

 

入学や卒業など進学に関する情報に基づいてダイレクトメールが届くということは名前と住所と生年月日の情報が知られているのだが、これらは日常生活では特に隠していないので接点がある人が知ってる分には違和感はなかったのだが、知らない人に知られているということが気持ち悪かったのだ。

 

今で言う覗きやストーカーに通じる気持ち悪さを、日本人が最初に認識し出したのはこの辺からだろう、家族で住んでいる人よりも一人暮らしの方がより強く感じただろう。

 

ダイレクトメールという文化は、鶏が先か卵が先かと意見は分かれるだろうが、名簿業者という事業を顕在化させた。

 

元は探偵や興信所だ。

 

ウィキペディアによると、その情報源として使われていたのが、

 

    • 同窓生による学校の同窓会名簿/卒業アルバムの持ち込み
    • 職員や会員、その構成員による公務員名簿/教職員名簿/社員名簿/退職者名簿/医師会名簿/有資格者名簿/学会名簿/ゴルフ会員権名簿/商工会名簿/協会名簿/同友会名簿/県人会名簿などの持ち込み
    • 他の個人情報取扱事業者からの取得

     

 

 

個人情報が保護の対象として正式に明文化されたのは2003年。

 

最近は、小学校でもきちんと教えているようで、「それは個人情報だから聞くのも教えるのもダメなんだよ」と言う小学生(わたしの姪)もいる。

 

ところで、郵便としてのダイレクトメールは条件が合致してるであろう時にはたくさん届くが、引っ越ししたり、その他条件が外れたと思しき場合は途端に届かなくなる。

 

郵便のダイレクトメールは、中身はともかく何が届いているかは家族の目や配達人の目には触れているので、100%秘密を守るというのはハードルが高い。

 

21世紀に入ると、情報は郵便でよりもSNSで届く方が主流になり、最大の特徴が瞬時に双方向で文書や資料のやり取りが可能になったという点にある。

 

こうなると、100%の秘密が可能になる。

 

SNSでやり取りされるDMは、従来のダイレクトメール的なものから他人には知られたくないことまでがやり取りの対象になっている。

 

〜余談〜

 

ダイレクトメールは略するとDMとなるが、SNSのDMはダイレクトメッセージの略。

 

しかし、実質的には区別されてないと感じられる。

 

〜〜

 

このことには功と罪があり、良いことも悪いことも100%の秘匿が可能だが、その暴露も簡単でしかも一斉に拡散できるという特徴がある。

 

またマスコミの取材もDM経由で行われているものも多そうだ。

 

 

 

本当はもっと載せたいDMに関するツイートがあるのだが、個人情報をテーマにしてるエントリーなので引用するのは当たり障りのないものにとどめたが、現在のDMではさまざまな勧誘が行われている。

 

DMには秘密がたくさん隠れている。

 

秘密を共有すると、人間関係が深くなる。

 

秘密を共有する人間関係は、共犯関係になり、お互いを束縛するようになる。

 

DMには、束縛が潜んでいることをお忘れなく!

 

DMは、ダイレクトメールと違って、最初の一歩は自らのアプローチで始まる、まるでハリがついてるとも知らずにエサに飛びつく魚のように。