違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

更新頻度と質と量、一番大事なものは?!

Twitterの普及と関係あるのだろうか、最近ブログですら更新頻度が多い人をよく見る。

 

インターネットやデジタル技術のありがたいところは、この頻繁な更新を可能にしたことかもしれない。

 

同じことは、デジタルカメラにも当てはまる。

 

アナログ(フィルム)カメラの時代には、フィルムと現像がランニングコストとして発生し、物理的に存在する写真やネガの保存が必要になり、その検索作業ですら大変さはデジタルの比ではない。

 

更新が容易で、かつその更新にコストがかからないことのありがたさは現在では完全に忘れ去られているように感じられる。

 

更新が容易ではない時代のコンテンツは、情報を発信する側には完成度の高さを志させただろう。

 

しかし更新が容易になると、そしてその容易さが前提になると、きっとなにかが変化してるはずだ。

 

かつてアナログカメラの時代には、ワンカットに命をかけるということがあった。

 

カメラマンとモデル(被写体)の間では真剣勝負が行われ、モデルが超有名人の場合、カメラマンが有名であっても撮影を3カットしか許さないなんていう事例があったことを聞いたことがある。

 

しかもその3枚は、現像しなければきちんと撮影できたかどうかもわからない。

 

 

 

更新が容易ではない時代のコンテンツと、更新が容易な現代のコンテンツの間には、仮に内容が全く同じだとしても、その価値やありがたさや評価が全く違ったものになっても不思議はないだろう。

 

 

ブログの話に戻そう。

 

カメラの世界のような出来事は、ブログの世界にも起きている。

 

ちょっと調べてみました。(と言ってもTwitterを遡っただけだけど、これって結構疲れます)

 

 

2010年頃は質も求められている様子。

 

 

東日本大震災以降、更新頻度が下がったという声が増える中でもまだ、質と量と更新頻度は三位一体で求められている様子。

 

 

しかし、その直後くらいから「質を上げたかったら量を増やすしかない」という流れが出始めたように感じられる。

 

そして、より顕著に更新頻度にこだわる流れが出てきたのが2015年。

 

『質より量より更新頻度』とは、立花岳志さんが提唱し広まっている様子。

 

 

2016年頃に、質にこだわりすぎるとチャンスを逃すのではないかという意見が出ている。

 

 

これ以降現在でも更新頻度を拠り所に展開するという戦略は価値を失わずに続いていることが感じられる。

 

 

 

 

ところで、多くの人が更新頻度にこだわればこだわるほど、世の中にはジャンクなコンテンツが溢れることになる。

 

なんだか古典的な「砂漠で砂金を取る話」に近付いてくるような気がしてくる。

 

こういう場合、砂金を取る人よりも、砂金を取りに来た人に砂金を取るために必要な道具を売る人が、実は一番儲かっている。

 

デジタルコンテンツは、多更新が容易なので、多更新という泥沼に誘いやすいし、抜け出しにくい。

 

 

「下手な鉄砲数撃ちゃ当たる」は、何発撃てば当たるだろうか?

 

その『当たる』には再現性があることが肝心だ。

 

おそらく撃ち始めた時は下手だとしても、当たる頃には上手になっているはずだ。

 

だとしたら、やっぱり『質』は大事。

 

ただし、それは今の精一杯で十分で、他人と比較する必要はない。

 

デジタルコンテンツの多更新が容易という特徴は、無限にアップデートが可能と考えた方が賢明な気がする。

 

だとすれば、『下手なままで当てよう』とは思わない方が良さそうだ。

 

アナログコンテンツは、失敗するとかけたコストも失うことになるが、デジタルコンテンツの場合、失敗はタダだ。

 

ただし、タダには教訓がある。