違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

梅酒の『チョーヤ』に感じるアンテナの感度の重要性!

何かを始める時の多くは、希望や期待から始まる。

 

しかし、世の中には、最近の日本でも、自然災害で被害を受けた後が起点となる(ならざるを得ない)ようなできごとも増えている。

 

突然訪れる不幸がきっかけで、しかも想定を上回る被害の場合、事前の準備など全く功を奏しないことも多い。

 

人はドン底からスタートすることもあるということは、明日は我が身であると感じてる人も多いだろう。

 

そう考えると、たとえ茨の道であっても、起点に夢や希望があったり、準備や試行錯誤の余地があることは、幸せ以外の何ものでもないだろうと思えてくる。

 

 

こんなもったいつけた書き出しで始めて紹介したいのが梅酒でおなじみのチョーヤ梅酒株式会社。

 

今でこそ社名に梅酒と入っているが、創業時に手がけていたのはブドウの栽培。

 

1914年にブドウの栽培を始め、1924年からワインの醸造と販売を開始。

 

そんなチョーヤが梅酒を手がけ始めたのが1959年。

 

そして、チョーヤが梅酒で完全に勝利を手にしたのが1991年。

 

時系列をイメージすれば感じられるようにトントン拍子の順風満帆ではなかったのだ。

 

チョーヤの歴史を知ると、情報や知識に対するアンテナの感度の重要さと、努力や頑張りはバクチと紙一重という二つの真実がわかることがおもしろく、そしてその行動は現代でも未来を見据えた時に参考になるものだと思えるのだ。

 

 

チョーヤが梅酒を手がける少し前の昭和30年代に、創業社長(現社長の祖父)が引退旅行としてヨーロッパを訪問しフランスのボルドーのワイン事業者と話をし、日本とフランスのワインの製造原価の違いを知って急速に危機感を強めた。

 

なんと本場フランスのワインの製造原価は日本の5分の1だったと知り、当時は酒類は輸入自由化前だったが、自由化されたら勝ち目はないと感じたのだ。

 

創業者のアンテナに引っかかった事実は、幸いなことに後継者に意図通りに伝わったので、後継者のアンテナの感度も良かったのだ。

 

この危機感は、三つの課題につながった。

 

  1. 国内ではあまり手がけられてない商品であること
  2. 海外にはない日本独自の商品で、将来海外で販売できる可能性があること
  3. 突飛なものでなく、身近で親しみやすい商品であること

 

これらの条件を満たすものとして、梅酒が選ばれたのだが、梅酒には大きなハードルがあった。

 

当時の日本では、梅酒は店で買うものではなく、家庭で作るものだったのだ。

 

1970年前後、現社長が高校生だった頃、社内では「梅酒ではやって行けないのではないか」と議論されていたらしい。

 

創業社長が梅酒に活路を見出した時に伝えたことばが社内では生きていた。

 

 

『梅酒で成功したら喜べ。成功しない時は人生を諦めろ

 

 

 

チョーヤは戦略としてテレビCMに積極的に取り組んでいて、ここにもバクチと紙一重の強い意志があった。

 

 

『やるなら会社が潰れる時までずっと打ち続ける』

 

 

 

1972年から始めたテレビCMの効果もあったのだろうか、流れが変わり始めたのが1983年で梅酒の売り上げが伸び出した。

 

梅酒が軌道に乗ったのは1987年。

 

その後、梅酒はブームになったが、その過程で粗悪品も増えたのだが、原材料にこだわった梅酒を「本格梅酒」と表記するという業界ルールを作ることで差別化を実現。

 

原材料にこだわるという姿勢は、元がブドウ農家であったために梅の生産者と価値観を共有できたことも大きいようだ。

 

 

現在のチョーヤは、創業者のヨーロッパへの引退旅行がなければ、その旅行でワインの原価の違いに気付かなければ、創業者の危機感が後継者に伝わらなければ、全く違ったものになっていただろう。

 

それもこれもアンテナの感度のおかげだと言えるし、アンテナが感じたことを愚直に実行するというのは一種のバクチだと教わった気持ちになれる。

 

今日書いた話の内容は、図書館で見つけた非売品で出版社からの寄贈とされていた本に書いてあったが、調べてみると現在は売られているようだ。