違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

役割分担を演じ続けるか、自分自身を出し続けるかという選択!

個人で勝負するか、組織に属して勝負するか?

 

組織に属しても、組織内での戦いがあると考えれば、結局個人で勝負することになるが、お客様目線で考えると、個人の勝負も違って見えてくると言う話をしてみたい。

 

 

組合という仕組みというか制度がある。

 

法的な定義もある組織体だが難しい説明を抜きにすれば、企業や業界などの所属構成員から費用を徴収するかわりに、企業や業界に利益を誘導する組織。

 

日本がドメスティックな存在だった時には、組合という形態は有効に機能していたが、グローバルな構成員の一つになると、時期でいうと21世紀になると同時頃と思えば良いだろうが、組合よりも株主が影響力を行使するようになった。

 

 

組合にしろ株主にしろ行なっていることは、利益を誘導するために人や組織を活用するという知恵比べで、武器は法律だ。

 

利益を誘導するための知恵比べには、他にプロモーションという活動があり、これは組合や株主を含めての全ての人が活用できるものだ。

 

プロモーションと呼ぶと広告宣伝の感じが強いが、現代ではプレゼンテーションと印象が近い。

 

プロモーション(≒プレゼンテーション)と呼んでいるとあまり感じないが、それはセールスであり、営業であり、売込みなのだ。

 

少なくとも20世紀の日本では、セールスと営業と売込みは質的には同じだった。

 

しかし、いつの頃からか営業という肩書きを持つ者は「あなたがやってるのはセールスであり、売込みですよね」と言われると、不快感を示したり怒り出すようになったと言われる。

 

つまり、セールスや売込みという行為がいつのまにか営業よりもランクが低い行為になってしまったのだ。

 

たしかに、セールスや売込みには詐欺や押し売りのニオイがするようになったと感じる一方で、やってることは同じだとしても、それがアドバイスや上手な説明と受け取ってもらえると、セールスや売込みは心地良いプロモーション(≒プレゼンテーション)に変わってしまう。

 

だから、その逆もありうる。

 

例えば、大人気の実演販売のプロが直接自宅を訪ねてきたら、顔を知っていても、話術がいかに巧みであっても、気持ち悪いとしか思えないだろう。

 

セールスや売込みが不快なのは、

 

  • 求めてないのにされる

 

  • 直接される

 

からだと言えそう。

 

 

そうすると、不快感を取り除けば良いことになるので、次のどちらかがあれば良いと思える。

 

  • 求めてる時(タイミング)に

 

  • 売込みやセールスを直接されない

 

これらを満たすのは店員とのコミュニケーションが最小限で済む方が良いので、小さな店舗よりも大きな店舗が都合良く、精算時だけのコミュニケーションで済むスーパーやコンビニも便利で、それ以外の店舗の場合は指名買いされる商品を準備してなければお客は入りづらいだろう。

 

ネット通販が利用されるのは、価格が安いと言うよりも対面でのコミュニケーションが必要ないからだとも思えてくる。

 

ところで、以上は、商品を中心にした話だったのだが、セールスや売込みの世界では、決して競争力の高い、指名してもらえるような商品を売ってるわけではないというケースが多い。

 

だからだが営業の世界では、自分自身を商品にしろ、と教えられる。

 

昔の金融機関はこれを実践していた代表格だった。

 

 

さて、ここからが本題なのだが、人生100年時代といわれる一方で年金は当てにできないと言われるならば、私たち一人一人が一生涯何か売れる商品を扱うか、自分自身を商品にするしかなくなる。

 

一番望ましいのは、商品が何であれ、指名してもらえるものであることだ。

 

指名してもらえるために必要なこととしては、

 

  1. 圧倒的に商品力がある
  2. 実際には売込みやセールスであっても、アドバイスやお役立ち情報の提供として展開する
  3. 自己肯定感を高く持つ(自己肯定感が低い人の周りには望ましくない人しか集まらない)
  4. 技術や施術のレベルが高い、又はオリジナリティが高い

 

 

などがあるが、これらは全て自分の側でコントロールできることばかりであるが、実際に指名した人の理由であるとは限らない。

 

指名されることが重要な風俗の世界でも大きなテーマだ。

 

 

やっぱり、錯覚させることが必要なのだろうか?

 

勝手に錯覚してくれるのは構わないが、錯覚を狙うことは割り切っても気持ちは良くないという話が次のツイート。

 

 

その記事には、こう書かれている。

 

自分なりに、試行錯誤したり、

 

考えた結果。

 

私のプレイやサービスに会いに来るお客様じゃなくて、

 

私に‼︎会いに来てくれるお客様を増やせば良いんだ‼︎

 

 

って、いう事に気付いたの☆

 

それから、写メ日記の書き方を変えたりして、

 

今に、至る、、

 

 

 

 

って、いう感じです(*^^*)

 

 

 

指名される存在として頂点にいるのが芸能人や有名人だが、そこをお手本にすると、コピーを目指すことにつながりやすくなり、どんどん自分自身から遠ざかるかもしれない。

 

指名される人には二通りの人がいる。

 

自分自身を前面(=全面)に出す人と、自分が果たすべき役割を理解しそれらしく振舞う人の二通りだ。

 

 

どちらが良いとか悪いとかは簡単には言えそうにはないのは、結果的に上手く行かなければどちらを選んでも一緒だからだが、自己肯定感という観点で言うと、自分を前面に出した方が幸せには近い気がする。

 

役割を演じて上手いこと行っても、そこに自分自身が無ければすごく疲弊するだろう。

 

そう考えると、役者って本当に大変だと分かる。

 

自分に合ってればどちらでも構わないだろうが、仕事とプライベートはキッチリ分けたいと考えるタイプの人は、仕事なのかプライベートなのかが曖昧なことを選択するという方法もあることを覚えておいて損はないだろう。