生産性や効率というワードが独り歩きすると、その延長線上に必ず出現するのが『外注』。
そして更に、最近の副業を推進する流れの界隈でも『外注』は勢いがある。
令和の始まりを目前にした今だからこそ、そういう輩には騙されるなと言いたい!
外注とは、由来を遡ればお手伝いさんのこと。
忙しい時に、手や足を借りることが始まりだ。
しかし、現代の外注は頭脳の貸し借りになっている。
代理出産の場合の親とはどちらなのかが問われるように、頭脳が生み出したアイデアや知恵は、貸主のものなのか、借主のものなのかが問われ、道義的な解釈と契約に基づく法的な解釈で処理されているが、実質的には搾取の構造が拭えない。
現代では、手や足を貸す(=提供する)ことは下請けと呼ばれる。
頭脳の外注のように複雑さが出てくると、頭脳を貸すことはコンサルタントと呼ばれたり、ブレーンと呼ばれたり、パートナーと呼ばれる。
そんな頭脳の外注には罠や落とし穴がある。
外注は、仕入と売値が逆転しちゃいけないのは当たり前なわけで、その算段がついてなかったら救いようがないですね。
— 楽天家 (@rakuten_ka1) April 21, 2019
自分で見込んで仕入の方が高くなった失敗ならまだよし、売値すら他人に決めてもらって信じてるようじゃお終い。
「この1万円の教科書を買えば3万円稼げる」みたいに。
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— ゆっきー [デザイン/アート] (@elcielo_design) May 27, 2018
ライター・ブロガーの人と
会う機会が増えたんですが、
その中で上手くいっていたり
稼いでるライターの方って、
ライティングで稼いでなくて
・コンサル、教える側になる。
・ノウハウなど有料コンテンツ化
・受注した仕事を外注する。
・コミュニティ、サロン運営
などで実は収入を得ている。
「研修」とか「コーチ」とか「コンサル」とか「外注」あたりは、知ってる・やってる側から見ると情弱ビジネスになってることが多い。
— TAKAKING22@FA宣言 (@TAKAKING22) July 26, 2018
マジメにバリュー出そうとしてる人達に失礼なのでそういうやつらには低空ドロップキックかましたれ!と思いつつ、選球眼ってほんとに大事だって思う。
手や足を使う人は、昭和平成と頭脳を使う人に、使われ続けてきた。
深夜ツイ。
— かすみ (@Gakurekibitch) April 3, 2019
ステータスのために大企業に行きたいと思ったことはないけど、大企業と中小企業で仕事の性質が変わる、とは思う。
中小の場合は使える予算が限られるので、どうしても内製化が増え、作業部分も自分でやることになる。大企業の場合は比較的、作業を外注して頭脳部分の業務に集中できる。
手や足を駆使すると思われてる業界にも頭脳は浸透している。
ビルメン偏差値による業務の差は、現場に出るか出ないかが大きい違いになります。
— シンゴ@下克上転職 (@shingo_morokawa) April 17, 2019
偏差値が低い会社だと点検やクレーム対応をメインにやりますが、偏差値が高い会社は上記を他の会社に外注してお金のやりとりや打ち合わせばかりします。
要は肉体労働か頭脳労働か?ということになりますね😌
その一方で、プロ中のプロの世界では、頭脳から手足まで全部自分でこなせる人が増え始めている。
自分の頭脳を駆使した後、手足は外注していた人たちの一部が、自ら手足も動かし始めている。
アートの世界では、頭脳の外注を請け負うのがプロデューサーの役目だったが、アーティスト自身がプロデューサーを兼ねるという動きが増えている。
明石さんと三浦さんの対談で、「SPA(製造小売)アーティスト」という概念が登場したけど、この流れは不可逆だろうね。
— PuANDA (@shoichirosm) November 28, 2018
頭脳をプロデューサーに外注するアーティストの時代は終わり、
宇多田ヒカルや椎名林檎のような「つくって届けるまで自分でやるアーティスト」が次の時代の主流になっていく。
人生100年時代は、全ての人がアーティストになるなどと言われてるが、そうであるならばプロデュースのあり方は重要になる。
ところで外注の反対語はというと内製となる。
つまり、自前でやるということ。
考えるまでもなく昔はこれしか選択肢がなかったのだが、いつの間にか忘れてしまっているが、何事も自前が原点なのだ。
海外における「日本の漫画ブーム」については語りたいことが山のようにあります。漫画の前にアニメがあり、手塚先生のあと、モンキー先生、そして私がプロデュースに関わった作家の先生など、「自前で」活動した先人作家がいました。 https://t.co/ITJvpiPIgn
— 伊藤淳子@ (@junco) April 18, 2019
分業や外注という手法を知らなかった先日亡くなられたモンキーパンチさんは2016年にこう述懐している。
パンチ:うらやましいといえば、トキワ荘もそうです。ああいうものがあったのを知らなかったんですよ。知ってたら僕も入居して、手塚先生の絵を見ながら学んでいたと思うんだけど、それができなかったというのがものすごく残念でしょうがないです。僕の場合、師匠はいないし、アシスタントもやったことがないですし、漫画家さんをたずねていって自分の原稿を見てもらったこともなかったですから。石森(章太郎)さんたちと一緒にやってたらまた違う道に行ってたかもしれないですね。
るみ子:でも、一匹狼でやってこられたからいまの先生があるっていうのもありますからね。
外注化されているのは手足や頭脳だけでは無い。
ファッションや趣味嗜好のセンスや感情ですら外注されているのだ。
渋谷系ギャル文化の「ウチら最高」という熱狂と、原宿系ストリート文化の「文脈ありきのカルチャー」としての奥行きが、今の10代、20代の若者にとって、ある意味新鮮で、うらやましいものに思えるのかもしれません。
— ハフポスト日本版 (@HuffPostJapan) April 25, 2019
(編集者・軍地彩弓)https://t.co/j3BX8iUzxv
ある時、知り合いの若者が、「あの頃のファッションって、エモくないですか? 私たち、物心ついたときからSNSがあるのが当たり前だし、周りに『エモい』モノがないから、自分で探すしかないんです」と話していて、それが強烈に印象に残っています。
『必要なものや欲しいものは自分で自力で見つけるもの』という方向に時代がシフトしてるかもしれない。
答えは、すでに有るものの中から探して見つけるものではなく、つくる(作る、造る、創る)ものにシフトしている。
セルフプロデュースするということと、自分で作詞作曲するかは別の話で、プロデュースのイニシアチブを取ったうえで、作詞作曲を外注するのはアリだよな〜。安室とかみたいに。シンガーソングライターにこだわる必要はないと思う。>RT
— H.イワシタはエンドゲームで帰ってくる (@iwa_jose) May 25, 2016
大事なことは、一人一人が自分にとって重要で譲れないことに関してはイニシアティブや主導権を行使することだ。
過去に何度か、受注金額が大きい時、「電〇さんの下に入って貰えないか?」とか「博〇堂さんの下でやってくれないか」と言う要請を受けたことが有る。
— 中山マコト@『一瞬で心に火を点ける88のマジックフレーズ』 (@makin3939) April 26, 2019
でも、すべて突っぱね、直接口座を作って貰って来た。
相手は嫌がるけど、これが主導権を握られないための実に大事な考え方。
大変だけどね。
そういう意味では、令和には心の強さが必要になる。
外注が効率的で生産性が高いなどと思っていると、あっという間に使い道のない人間になるかもしれない。