今日で平成も最後。
平成が始まった頃日本はバブル景気だった。
景気や景況感が、多くの人にほぼ等しく実感できていた最後の時期が平成の始まりだったなと懐かしく思い出す。
そんなバブル景気が弾けてしまった後は、バブルの再現を望んだり仕掛けられたりしたが、景気に良い動きが出ても、多くの人に等しく還元されるようにはならなくなった。
金は天下の回り物と言うが、バブルが終わった平成の日本では、金がどこを回っているのかが分かりづらくなったような時代だったと今振り返ると思えてくる。
金の流れを川に例えるならば、水害を起こした川では流れそのものが大きく変わることがあるのに似てる気がする。
平成という時代で大きく変わったのは、水害を含めた災害だ。
特に地震は、来るぞ来るぞと言われ続けている首都圏ではなく、来るとは思われていなかった地域に起きている。
わたしは大学入学で上京して初めて地震を知った。
地震というワードだって、それが英語ではearthquake になることも知っているのに、肝心の地震そのものを体験として知らなかったということが分かった。
受験でホテルに泊まってる時にも地震を経験したが、地震だとは理解できずに「今のは何だったんだろう?」という状態だった。
地震だと分かったのは、入学後友人と一緒にいる時に地震を経験した時に教えてもらってからだ。
現象とそれを示すワードが通常とは逆の流れで結び付くことには不思議な思いがあった。
「今のが地震だったんだ!」
わたしが経験したのはせいぜい震度2〜3程度だったが。
そんなわたしが経験した最大震度は5。
わたしが知ってる地震とは何もかもが違っていた。
忍び寄る気配が感じられた。
何か巨大なものが地面の中をすごいスピードで動いているような気配だった。
ゴオオオオオ
次の瞬間、視点がどこにも焦点を結ばなくなった。
わたしはとっさに地震だとは思えなかった。
「やってしまった!」
「後悔先に立たずだ!」
「これが脳梗塞か?」
と思った。
次の瞬間にだれかの「怖い」という声が聞こえて、「ああ、これはわたしだけに起きてる現象ではなく地震だ」と気付いた。
震度3を知っている程度では、震度5は理解の範囲を超えていた。
平成の日本では、震度6を超える地震が何度もあちらこちらで起きるようになった。
地震が起きない地域だと思い込んで生活していた人々の中には、初体験の地震がとてつもない地震だったという方がたくさんいるだろう。
平成という時代は、「想定の範囲内」だった人と「想定外」だった人の差が極端に開いた時代だと言えるかもしれない。
平成の後半は携帯電話の時代で、携帯電話の時代の後半はスマホの時代だった。
いつでもどこでもつながり連絡が取れるようになったことで、備えや準備の格差が広がっている。
分かっているはずのことすら想定しないで生きてる人が増えている。
令和がどんな時代になるかというと、二つが想像できる。
一つは、想定しない人にはますます厳しい時代になる。
もう一つは、想定してる人が「想定外」にぶち当たる。
想定外と言うと悪いことが起きるようなイメージがあるが、想定外の良いことも世の中にはたくさん起きている。
想定外の良いことは、「運が良い」と言われる。
結局どうなるかは分からないが、「想定する」ことは賢明だと思えるが、「想定外」を意識してプランBやプランCを想定することが重要になるはずだ。