100m走を例にあげると、
世界最高レベルの競争だと競争時間は10秒。
スタートからゴールまでが10秒という世界。
【#サニブラウン 「世界一」の目標は決して夢物語などではない】#男子100m で9秒99をマークしたサニブラウン選手。 あの #ウサイン・ボルト よりも若い20歳での9秒台。強豪・フロリダ大学で成長を続ける若武者にとって「世界一」の目標は、決して夢物語などではない。https://t.co/uGgcDAfNWK
— NHKスポーツ (@nhk_sports) May 22, 2019
テレビや新聞ではあまり大きく報道されていませんが、今、日本の陸上界に旋風を巻き起こしている高校2年生、桐生祥秀選手(洛南高)の記事を公開しました。「“世界一”速い16歳。~100m10秒19、桐生祥秀の将来性~」 http://t.co/NArkpcqu
— Number編集部 (@numberweb) November 14, 2012
桐生祥秀が100m10秒を切ったのは21歳の時で、この記事から5年後。
100m10秒を競う世界は、見てるだけの人にはスタートからゴールまでが10秒以内の世界に見えるだろうが、100m10秒を意識してから達成するまでと考えると、桐生祥秀の場合は0.2秒を縮めるために5年を費やしている。
桐生祥秀にとってスタートはいつだったのかは本人のみぞ知る話だろうが、実際には本人もいつがスタートだったのかは本当はよく分からないかもしれない。
表面的にはスタートからゴールまでが10秒に見える世界は、実際には途轍もなく長い時間の競争が行われているのだ。
人生とは、生まれてから死ぬまで。
生まれることがスタートで、死ぬことがゴールとするならば、ほとんどのケースでスタートもゴールも本人の希望や意志を反映したものではないように感じられる。
しかし、生きている間には、人生に比べると短いスパンで自らの意志でスタートとゴールを設定して一喜一憂することを何度も繰り返し経験する。
希望の学校に入学するために受験をしようと決意すると、ゴールは受験に合格することだと思ってしまう。
しかし、よく考えると実は希望の学校に入学することこそが本当はスタートを意味してるはずなのに、そのことは見過ごされることが多い。
就職や転職や結婚など人生の節目のイベントの多くは、スタートなのかゴールなのかの勘違いが起きやすい。
多くの場合で、実際にはそこからがスタートなのに、まるでそこがゴールであるかのように振る舞うことがある。
それは、スタートにつくためにはその手前の目標でゴールに達していなければならず、ゴールに達するとすぐに次のスタートが始まるということを繰り返しているので、その都度のゴールを目指し続けるとストレスを抱え続け、抱えてるストレスの許容範囲が尽きてしまうと、そこがゴールであるかのように息切れするのだろう。
もし、大きな目標を一つだけ掲げていると、その途上にある小さな目標に一喜一憂することなく、また途中の目標は臨機応変に対応でき、時には遠回りのような迂回や、時には思い切りショートカットした道筋を選択したりできるだろう。
ところで、人生のゴールが死だとすると、大きな目標として何を掲げれば良いのだろうか?
人間が夢中になる小さな目標の定番は、
- お金
- 名誉
- 健康
- 人間関係
目標だと思ってることの多くは、不満があるからスタートするが、その先にゴールが設定がされてるケースはほとんどない。
ゴールは蜃気楼のようなもので、達したと思ったら、手の届かないところに移動していることが多い。
死ぬことを意識すると、残り時間をカウントするような意識が働く。
そうすると、時間を大切にしたいという意識が芽生える。
時間を大切にすると考えると、起きて活動することに価値を見出そうとするが、起きて活動することを質的に高めようとすればするほど重要なことは休息や睡眠だということが現代では明らかになっている。
スタートとゴール(=目標)の関係は、単純明快なものではなく、禅問答のような世界観と表裏一体なのだ。
芸術家の岡本太郎はこう言っている。
人間は誰だって、
この世に生まれようとして生まれてきたわけじゃない。
でも、この世に出てきたからには、
誰だっておもしろい生き方をしたいよね。
危険な条件のほうに自分の運命を賭けるほうが
情熱がわいてくるものだ。
おのれだけが自分じゃない。
向こうから追ってくる運命というのも、自分自身なんだよ。
この本から引用。
人生が後半に入ったと思うならば、小さな目標を一つ一つクリアして段階的にレベルアップすることを考えることよりも、自分の心がスッキリ爽やかになるような目標を一つだけ掲げ、それに向かって生きるというほうが楽しそうな気がする。
どんな目標(=ゴール)を描くかかは、どんな生き方をするかであり、それこそが個性であり、どんな死に方を目指すかにつながるだろう。