違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

川崎登戸の事件は現代のシンゴジラ!

川崎登戸の痛ましい殺傷事件を巡って色々な意見が出ている。

 

象徴的に取り上げられ、賛否どちらも多い意見として、『死ぬなら一人で死ね』がある。

 

 

 

 

 

報道の取材が被害者を更に追い込むということもある。

 

 

 

 

 

子を持つ親や、身近に子供がいる人には、自分自身にふりかかる問題と感じられるので当事者意識が生まれるだろう。

 

 

こういう問題を再発させないために何が必要だろうかと多くの人が考えるはずだ。

 

こういう時に一番機能して欲しいのは政治だ。

 

 

 

象徴的に取り上げられることばはもう一つある。

 

『通り魔は防げない』。

 

 

なぜ防げないかと言うと、

 

 

しかし、『対策しろ』と言う指示は出されるのだ。

 

 

しかし、その答えは、

 

 

いつものことだと言えばその通りなのだが、今回は少し違って見えた。

 

いつもと同じと言う意味では、既視感があって当然なのだが、その映像が鮮明なのだ。

 

映画シンゴジラで、ゴジラ出現を受け止めきれない首相官邸のあたふたぶりが映像として蘇るのだ。

 

怪獣映画だと思われていたシンゴジラは、実際には政治風刺映画だったとも言える、だからだろうがアメリカでは人気がなかったと言われる。

 

怪獣の出現を理解できない首相官邸は、御用学者の有識者に頼るが全く役に立たなかった。

 

役に立たないと言えば、専門用語を用いての会話だ。

 

初めての出来事を、過去に定義された専門用語で表現しようとする愚で、映画の中の会議のシーンはリアリティ溢れる滑稽さで風刺が効いていたが、日本に住んでる日本人じゃなければどこがおもしろいのかが分かりづらいだろうから、アメリカで受けなかった理由も分かる。

 

通り魔は防げないものだとしても、防ぐためにどうすれば良いかを真剣に考えてる人が日本にどの位いるだろうか?

 

 

歴史は繰り返すと言われるが、日本人が繰り返すのは『羹に懲りて膾を吹く』と『喉元過ぎれば熱さ忘れる』と思えてしょうがない。

 

 

 

 

 

今は羹に懲りて膾を吹いてる状態だから議論も活発で真剣味溢れてるが、これがいつまで続くのだろうか?