川崎登戸の痛ましい殺傷事件を巡って色々な意見が出ている。
象徴的に取り上げられ、賛否どちらも多い意見として、『死ぬなら一人で死ね』がある。
一部はすでに報道いただいていますが、各大手メディアからの取材が殺到しています。痛恨の事件ですが、何度も繰り返さないように、私たちは何ができるのか、皆さんの記憶が鮮明なうちに発信しておきたいと思います。 https://t.co/J8zZrtx9d9
— 藤田孝典 (@fujitatakanori) May 29, 2019
そういうことは早く言ってよ。僕も僕なりに色んな感情があるもんだ。分かち合えると思いますよ。 https://t.co/6ZzmUSdyKN
— 藤田孝典 (@fujitatakanori) May 30, 2019
交際相手を自殺で亡くしました。人に頼るのが苦手な彼女は、希死念慮を抱えながらも、周囲の人と頼り合う関係を築こうとしていました。私も彼女とともに生きたかった。「1人で死ね」は人と人が共に生きる姿勢そのものを踏みにじり、うまく人に頼れない人を追い込む悪魔のような言葉。容認できません。 https://t.co/WrZogICqao
— まさむね (@hiro_npwr) May 30, 2019
報道の取材が被害者を更に追い込むということもある。
カリタス小学校の内藤校長は、報道関係者へのお願いとして「保護者から子供達の写真を撮ったり、子供達にインタビューをしないでほしいという要望が出ています。どうぞ受け止めていただければ」と語った。
— BuzzFeed Japan News (@BFJNews) May 28, 2019
「怒りのやり場もない」カリタス小学校が会見 川崎・登戸殺傷事件https://t.co/8eSXrylm3Z
川崎市登戸の連続殺傷事件、被害児童の通ってた小学校前からの中継に
— 山崎 (@yamasakibanse) May 28, 2019
「マスコミ!撮ってんじゃねーよ!」
の怒号が何度も入る。リポーターが動揺してしどろもどろに。
マスコミは被害者や関係者に取材と称した2次被害を与えている。
本当に本当に止めてあげて欲しい。
子を持つ親や、身近に子供がいる人には、自分自身にふりかかる問題と感じられるので当事者意識が生まれるだろう。
こういう問題を再発させないために何が必要だろうかと多くの人が考えるはずだ。
こういう時に一番機能して欲しいのは政治だ。
池田小学校事件も秋葉原事件も相模原事件も、ろくでもない制度改悪に政治利用された。名目は「再発防止策」。
— みわよしこ/Yoshiko Miwa, a journalist (@miwachan_info) May 28, 2019
でも防止出来てないから、同様の事件が起こった。
また、同じ方向性の強化に政治利用されるんだろうか。方向性の見直しではなく。
https://t.co/2FnizxNYdG @toyokeizai_book
象徴的に取り上げられることばはもう一つある。
『通り魔は防げない』。
なぜ防げないかと言うと、
「通り魔や暴走車輌は不可視性が高い潜水艦の襲撃みたいなもの。一般的な対策は早期警戒機による不断の哨戒」
— 野狐@昼行燈 (@musashi_yakko) May 29, 2019
「登下校する子供たちの直上にドローンを飛ばすのか。それでも襲撃自体は防げない」
「北号作戦みたく重武装の戦艦に資源積んで航行」
「装甲化したスクールバスか。胸が熱いな」
しかし、『対策しろ』と言う指示は出されるのだ。
【ニュース速報】
— AbemaTV(アベマTV)@今日の番組表から (@AbemaTV) May 28, 2019
安倍総理「強い憤り」
川崎・登戸で18人が刺され、小学校6年生の女児1人と39歳男性が死亡した事件を受け、安倍総理が「子供たちの安全を何としても守らなければ」と述べた。
関係閣僚に対して、子供たちの登下校時の安全確保について対策を講じるよう指示。#AbemaNews
しかし、その答えは、
[ロサンゼルス 5月30日午前11時 晴れ23度] 川崎・登戸などの通り魔殺傷事件について、政府関係者の「妙案はない」との意見にムッ(怒)。「妙案を考える」のが政治家の仕事でしょう?事故や事件の防止対策は被害者向けだけでなく、加害者を作らない社会作りも必須です!https://t.co/Tey48RGozC #FNN
— 藤本庸子(YOKO FUJIMOTO) (@YOKOfromLA) May 30, 2019
いつものことだと言えばその通りなのだが、今回は少し違って見えた。
いつもと同じと言う意味では、既視感があって当然なのだが、その映像が鮮明なのだ。
映画シンゴジラで、ゴジラ出現を受け止めきれない首相官邸のあたふたぶりが映像として蘇るのだ。
怪獣映画だと思われていたシンゴジラは、実際には政治風刺映画だったとも言える、だからだろうがアメリカでは人気がなかったと言われる。
怪獣の出現を理解できない首相官邸は、御用学者の有識者に頼るが全く役に立たなかった。
役に立たないと言えば、専門用語を用いての会話だ。
初めての出来事を、過去に定義された専門用語で表現しようとする愚で、映画の中の会議のシーンはリアリティ溢れる滑稽さで風刺が効いていたが、日本に住んでる日本人じゃなければどこがおもしろいのかが分かりづらいだろうから、アメリカで受けなかった理由も分かる。
通り魔は防げないものだとしても、防ぐためにどうすれば良いかを真剣に考えてる人が日本にどの位いるだろうか?
歴史は繰り返すと言われるが、日本人が繰り返すのは『羹に懲りて膾を吹く』と『喉元過ぎれば熱さ忘れる』と思えてしょうがない。
表現が好きな言葉
— 真下 たき(熟語・慣用句) (@jyukugo_idiom) May 30, 2019
【羹に懲りて膾を吹く(あつものにこりてなますをふく)】
意味)以前の失敗に懲りて、必要以上に用心することのたとえ。
補足)羹も膾も料理の名前で、前者は熱い吸い物、後者は冷たい食べ物。熱い吸い物で口をやけどした者が、冷たい料理もふうふう吹いて冷まそうとすることから。
「忘れない」は難しい
— 紺野うみ(巫女ライター/心の相談屋さん) (@konnoumi) March 11, 2019
あの時の記憶
あの時の気持ち
あの時の熱量
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」
というのは本当で
私たちはある意味で
「忘れる」ことで
心を守っているところもある
だからこそ、本当に大切なことは
「思い出す」ことなのだと思う
皆で「大切なもの」を残す
リレーをしよう🏃♀️💨
今は羹に懲りて膾を吹いてる状態だから議論も活発で真剣味溢れてるが、これがいつまで続くのだろうか?