違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

『もっと自分に適したものがあるのではないか』という煩悩!

テレビやネットの実演系の通販番組を見ていると誰でも気付くのが、『今だけ』『限定』『〇〇%安い』『お得』というワードが踊りまくっていることだ。

 

観客をスタジオに入れて繰り広げられるバラエティ番組と共通するノリやテンポが感じられるが、商品に興味が無ければ冷めた目で見ることができるので気付くのが、その場に存在する同調圧力だ。

 

もし、同調圧力でなければ、そもそも観客と称してる人達はサクラで、ドラマで言うならばエキストラだろうということ。

 

もし、そこで展開されてる商品が興味あるものだったら、臨場感豊かに繰り広げられる実演ドラマには説得力が感じられるだろう。

 

 

このような手法はすでに古典化し、ビジネス本でも定番を通り越して少し飽きを感じるくらいだ。

 

このような手法で煽られるのは消費意欲だが、お金を使うことには消費以外にもある。

 

 

バブル景気の頃に会社で取引のある関西本社(当時)の都市銀行の方によく勧誘されることがあったが、その際のことばにすごく違和感があった。

 

彼は、「手前どもの商品は・・・」といつも切り出して、預金や貸付の金利の話をしていた。

 

貸付はともかく預金に対して商品という認識が全く無かったわたしには、「手前どもの商品は・・・」と語る彼は違う人種の人に見えていたが、銀行員の立場に感情移入すれば分かるが、預金も借入も投資も銀行が取り扱うものは銀行員にとっては商品であり、お客に消費させる対象だったのだ。

 

しかし、お客の側にはその意識はないので、預金や投資をするということは、消費の反対側の行為だと思っていることが多い。

 

 

 

保険の乗り換えで200万円の大損?知らないと怖い保険の真実

本や雑誌などで保険の記事を目にする度に「もっと自分に適したものがあるのではないか」と悩み、その悩みを解消するためにショップに行っては勧められた保険を契約する……。

そんなことを繰り返してきたようなのです。

 

 

 

「もっと自分に適したものがあるのではないか」と思うことが人間を惑わせると言って良さそうだ。

 

『失敗は成功の母』ということばがあり、多くの人が拠り所にしてるだろう。

 

「もっと自分に適したものがあるのではないか」という気持ちは、失敗を成功の母にしたいという気持ちの現れでもあるはずだ。

 

お金の問題以上に、健康に関してはより当てはまるだろう。

 

自分の症状や悩みと同じ人が、症状や病気を克服したと知ったら、同じことをしてみたいと思うのは当然だ。

 

症状の苦しさや辛さは、周りにいる人には案外伝わらないものだ。

 

 

症状が持つ苦しさや辛さを分かってくれてると感じられるだけで、信頼が増すはずだ。

 

現代では、人間関係もそんな症状の一つにカウントされている。

 

 

このように考えていくと、「もっと自分に適したものがあるのではないか」と求めることが、すべての消費の原動力と言えそうだと気付ける。

 

 

金融商品と言われてるものに商品という意識が希薄なように、『先生』と呼ばれる人々の行為も一般的には消費だとは認識してないが、この分野は現在でも実際には商品であってもまだ商品扱いはされていない。

 

残念ながら気付いてしまったのは、心や正義の問題だと思われてることも、全ては商品を介しての消費行動だということ。

 

掲げる理想が大きいほど上手く行かない理由が分かった気がする。