流行と定番の境目はどこにあるのだろうか?
流行はいつかは収束する。
収束することで人気や話題性が無くなったと判断されれば終息する。
一方、一定の収束を迎えたところで定番への道を歩み始める場合もある。
違いはどこにあるのだろうか?
女の客ばっかりのラーメン屋はすぐ潰れる。ってのがオレの持論なんだが、最近やっと解った。
— 肉食の魔王Dark=Kochang (@dark_kochang) March 5, 2019
ラーメン屋や定食屋ってのは「流行」ではなく「定番」にならなきゃいけないんだな。
流行りで食いに来る女性客じゃなくて、何度も食いに来る男性客が主な客層じゃないと長続きしない。
ブティックで働いていた時、流行物と定番物両方扱っていましたが、流行物は「今売れる物を早く作りたい」定番物は「これがウチのカラーだからファンを裏切らないように」とメーカー側の姿勢も違って結局定番物の方が丁寧に作られていたので流行を追うのが馬鹿馬鹿しくなりました #ひるカフェ
— 猫顔娘々 (@bK6CNEFEpKQeaY8) March 6, 2019
“定番になれる流行”と“定番になれない流行”の違いに影響するのは、人気の持続(継続)時間の長さだ。
商社マンである旦那様が言うには、アメリカでは仮に西海岸で新発売されたお菓子(商品)が東海岸で認識されて流通するまでに1~2年かかるんだと。だから、それまでに不振で売れなかったら無駄になるから、定番商品のフレーバー違いだけになりがちなんだとか。流行も同じらしい。
— のぞみ (@nozomic_sasa) September 2, 2016
似たようなことに『継続率』がある。
やる気満々で始めることほど案外続かないのだ。
スポーツジムでの筋トレ継続率(Sperandei S, J Sci Med Sport, 2016)。これは、激しくワロタ。集団行動が強制される学校とか会社とかがいかに重要か、というグラフや。 https://t.co/QXdt48livv pic.twitter.com/GhcPZBYJxP
— Kazuki Fujisawa (@kazu_fujisawa) July 6, 2019
結果的にだが、世の中には一過性の流行に反応する人と、ずっと続くものやずっと続けられるものに反応する人に分かれる。
ずっと続けてるものがある人は、気が付いたらレア度の高さを身に付けているものだ。
自分自身の価値を高めるために必要なことは、自分自身のレア度を高めることだと言われる。
行動を通して自分自身のレア度を表現しなければならない。
レア度とは希少価値のこと。
希少価値を高めることを考える前に、その反対の意味合いの「誰でもできる」を理解する必要がある。
おもしろいツイートがあったので紹介。
今回は生々しい「闇」。フリーランスだけじゃなくて、制作系の仕事している会社員の人にも読んでほしいなあ。
— (株)Rockakuと工夫舎の森田 (@Rockaku) March 4, 2019
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「脱社畜」の向こう側に潜む「ブラックフリーランス」という闇|Rockaku森田 @Rockaku|note(ノート) https://t.co/QY4SLIrCVr pic.twitter.com/fc7RFEc0WC
◎LV.1:誰でもできる仕事を誰でもできる速度・品質でこなす
◎LV.2:誰でもできる仕事を誰でもはできない速度・品質でこなす
◎LV.3:できる人が限られる仕事をそれなりの速度・品質でこなす
◎LV.4:できる人が限られる仕事をできる人が限られる速度・品質でこなす
◎LV.5:他の誰に頼めばいいかわからないような仕事を編み出す
◎LV.6:それを1ジャンルとして確立し広く知られる
ブラックフリーランスというのはつまり、何年経ってもLV.1〜2を行ったり来たりしている人たちのことです。
誰でもできることの一つが流行に飛びつくこと。
能動的に行動してるつもりでも、流行に飛びつくだけでは希少価値を高めることにはおそらく貢献しないだろう。
流行を越えた先にあるのが定番という地位で、定番になるためには希少性が求められるが、定番として定着すると希少性や希少価値はそう高くはなくなってしまう。
ファッションの世界をイメージすれば分かりやすいが、定番には付加価値は付かないし、冒険に繋がらない。
つまり、流行と定番の関係は正反対だと思われがちだが、希少性という切り口で捉えるとほぼ同じになる。
希少性を高めろとは、ことばで言うのは簡単だが行動で示すことは難しい。
上記のツイートのLV.1〜LV.2ばかりが世間に溢れている。
流行と定番を考えていたら、いつの間にか希少性について考え始めていた。
あれこれ考えても簡単には希少性は高まらない、しかし簡単に希少性を高める定番の方法がある。
サラリーマンの希少性を高める古典的な表現に、「歌って踊れる」と言うのがあるように、一つ一つは特別なものではないものを組み合わせることで希少性は高められるという考え方がある。
令和の現代では、歌って踊れてもサラリーマンの価値も希少性も上がらないが、何ができると価値が上がるだろうか?
この答えを見つけることは簡単ではないが考えてみる価値はありそうだ。