違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

『ゆたぽん』に感じる英才教育と洗脳の違い!

不登校YouTuber「ゆたぽん」と呼ばれる10歳の男の子がいる、もう11歳になっているのかもしれない。

 

正しくは「ゆたぼん」らしいが、以下は私も世間も馴染んでいる「ゆたぽん」と記す。

 

様々なところで話題を振りまき、テレビにも出たことがあるようなので直接見た人も多いだろう。

 

世間に話題を振りまきだしたのは昨年の夏から。

 

少し振り返ると、最初に話題になったらしい(私は知らなかった)のが次の動画。

 

youtu.be

 

この昨年の8月に公開された動画の冒頭で、「ぼくは、1年くらい前から学校に行かなくなりました」と言っているので、不登校歴は2年になるのだろう。

 

GoogleTrendsで1年前からの動きを見てみると、

 

GoogleTrends「ゆたぽん」

 

 

この動画は、その後の反応に比べると小さな反応で世間の一部にしか届かなかったことが分かる。

 

その後、昨年の12月3日に公開した動画が話題になり、ここで私も知ったが、Google Trendsの反応を見るとまだまだ小さな動きだったと分かるが、私が知ったくらいだからこの時に多くの人の記憶の片隅に残ったかもしれない。

 

youtu.be

 

ところで、10歳の子供が自分の意思だけで不登校宣言なんてできる訳ないように、実際には心理カウンセラーの父親の影響が大きい。

 

世間の反応は、不登校の是非を巡るものがほとんどだが、私の目にはスポーツの世界にありがちな子供に対する英才教育の変形に見えてしょうがなかった。

 

子供に対する英才教育は愛情が無ければ行われないだろうが、その中身は一種の投資でありバクチであるので、常にその効果を計測することになる。

 

「ゆたぽん」の父親には何が見えているのだろうか?

 

さて、動画自体は度々公開されていたようだが、次に大きな話題を生んだのが今年の5月5日に公開されたものでGoogleTrendsを見れば分かるように非常に大きな反応になっている。

 

youtu.be

 

ゴールデンウイーク明けに、学校に行きたくない子は無理して行く必要はないとアピールしてる動画。

 

ある種の英才教育を受けた子供は、大人からの強い洗脳やマインドコントロールを受けるため、発言がませて大人びたことを言い出すが、その背後に身近な大人の意思の存在が見え隠れする。

 

このように捉えていくと、「ゆたぽん」に対する興味や関心は、本来は父親に向けられるべきものだと分かる。

 

父親に取材した記事があったので、興味がある方は読んでください。

 

学校通わぬ10歳ユーチューバーの父が批判に反論 [2019年5月8日]

親である幸也氏に対しても「(逞珂さんを)金儲けに利用している」と邪推する書き込みがネット上に少なくないが、「会いたい人に会いに行って金儲け?って、どういう思考をしているのか甚だ疑問です」と反論。

 

 

「ゆたぽん」やその父親の行動に対しては非難の声の方が大きそうだが、支持する声も案外多いのだ。

 

支持する人たちは、押し付けられるものに対する反発が強く感じられるところをみると、現在の社会の仕組みに対して不満を感じてる人達が多いと感じられる。

 

非難や反対意見を言う人達は、ルールや秩序が大事だと考えているのだろうと思える。

 

結果オーライの世の中なので、結果が良ければ万事丸く収まるかもしれないが、哲学的な課題も感じられる。

 

「やれば(すれば)良かった」という後悔と、「やらなきゃ良かった」という後悔は、同じ重さなのだろうか?