違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

京都アニメーションの事件で考えた『君子危うきに近寄らず』!

近代法の基本原則は推定無罪で、裁判で有罪が確定するまでは犯罪者としては扱われない、となっている。

 

しかし日本の世間一般では推定有罪が基本なので、容疑者になるだけで犯罪者として扱われることになる。

 

そして、その後無罪が確定しても、犯罪者として扱われたことからの名誉回復は実質的には不可能に近くなる。

 

幸か不幸か私はまだ路上で警察の職務質問など受けたことはないが、職務質問を受けてる姿を知り合いに見られたら容疑者扱いされるかもしれない、という心配を日本で生活してるとする必要がある。

 

日本では、権力や地位や立場に基づき行動して誤りを犯しても、伝統的に謝ったりはしない。

 

 

最終的に裁判で無罪が確定した場合、無罪を獲得するまでの期間は冤罪を背負った期間となるが、無罪が確定しても名誉回復できなければ、二重の冤罪を受けたことになる。

 

 

だからこそ「君子危うきに近寄らず」は処世術として重要な意味を持つが、これは日本が推定有罪の国であることの裏返しでもある。

 

京都アニメーションの放火殺人事件で、犯人とされてる容疑者が冤罪だなんて私だって思ってはいないが、容疑者が口にした「小説を盗んだから放火した」ということばの信憑性とその内容が非常に気になる。

 

 

容疑者が書いた小説を京都アニメーションがそれこそパクっていたならば、放火を正当化することにはならないが、恨みを持つことにはつながるだろう、しかし、今のところ容疑者の生活圏にいた人達から小説を書くような人だったとの話すら出て来てはいない。

 

もしかすると、「小説を盗んだから」という出来事と容疑者は全く結びつかないかもしれないとすら思えてくる。

 

だとすると、逆恨みですらない、むしろ只の愉快犯と大して違わない動機で放火が行われたことになる。

 

 

「君子危うきに近寄らず」という処世術に照らし合わせた場合、京都アニメーションはどうするべきだったのだろうか?

 

「死ね」メールみたいなものも少なくなかった 社長会見 2019年7月18日

今回の事件につながるトラブルについて、八田社長は作品に対する批判や「死ね」といったメールみたいなものを受け取ることは少なくなかったと説明しました。

 

売れてるものや華やか印象を与える存在は、それだけで「危うきを呼び寄せる」のかもしれない。

 

まだ名前も報道されない容疑者だが既にこんな情報も出ている。

 

京アニ放火、犯人とみられる男12年にコンビニ強盗   7月19日 日刊スポーツ

 

 

容疑者は幸い命には別状は無さそうなので、今後真相が詳細に分かると「危うきの原因」が何だったのかが分かるかもしれない。

 

因みに、犯行当日来客のためセキュリティが解除されていたのはNHKの取材が予定されていて、京都アニメーションの主要メンバーが集められていたらしいが、この取材スタッフと容疑者が通じ合っていたという噂も出ている。

 

「君子危うきに近寄らず」のためには目立たないことが手っ取り早いが、現代では成功するとイヤでも目立ってしまう。

 

どうすれば良かったのかのヒントは、続報の中に見えてくるだろう。