どんな人から影響を受けているか?
この問いには様々な答えがあって当然だし、模範回答などもちろん無い。
代表的なものを箇条書きで上げると、
- 親兄弟や血縁関係のある身内
- リアルな知り合いとしての友人知人や学校の先生や職場の同僚や上司
- メディアの向こう側にいる著名人や有名人(ジャンル問わず)
以上で上げたものは直接知ってる人であり、情報として間接的に知ってる実在の人物。
これ以外に、
- すでに他界していて実在しない歴史上の人物
なども該当することがあるだろう。
すでに実在しない人物から影響を受ける場合の決め手は、その人物がどのように描かれた情報に接したかだ。
情報を発信する側がどのようなキャラクターを与えて描いていたか、事実関係にどのような演出や誇張が施されているかで与える印象が異なるので、情報の受け手が受ける印象にも影響を及ぼすはずだ。
ここまでは、実際に存在したリアルな人物に影響を受けることがあるという話だが、現代では架空の人物から影響を受けることも増えているのだ。
マンガやアニメやゲームなど、キャラクターを与えられた人物がバーチャルな世界で活躍するストーリーが無数にあり、エンターテインメントの世界であり架空の世界だと分かっていながらも、その世界観に感情移入し影響を受けることが増えている。
また、現実に存在してる世界とバーチャルな世界の中間にアイドルというジャンルが存在していて、しかも大人数のグループが増えたことで分散しがちな影響力をひとまとめにする力を持つようになっている。
マンガやアニメやゲームやアイドルが好きな人々(=ファン)は、消費の牽引力が高いので常に商業的にターゲットにされるが、それはマンガやアニメやゲームやアイドルが如何に大きな影響力を持っているかであり、ファンが如何に影響を受けているかを示している。
ファンの深層心理には完全無欠な理想の実現を望む気持ちがあるが、実際に惹かれるのは完璧なようで「少し残念」なところも持ち合わせてるキャラクターだ、こういうのも「萌え」の一種かもしれない。
影響を受けるときには強い感情移入が働くが、完全無欠なキャラクターには感情移入せず、「少し残念」なところがあることで自分でも近づけるかもしれないと気持ちが動きやすくなるのだろう。
愛される「少し残念」は決して欠点ではなく、自分にも「あるある」「そうそう」と当てはまりそうな事のこと。
一方、リアルな人間関係の中では「少し残念」を通り越した「残念だらけ」の人ばかりが目立ってしまう。
「少し残念」が活きるのは一見完璧な人の場合だが、こういう話をすると「ああ、それ俺のことだ」と思う人が出てくるもので、わたしの周りもいるが、彼の口癖は「俺っていつまでも少年の心を忘れない男なんだ」で、その口からはいつもセクハラが飛び出している。
「少し残念」は美徳だが、「かなり残念」は悪徳。
自称「少し残念」は、「かなり残念」な場合がほとんどだ。