3人に1人が65歳以上という現代では、65歳以上を抜きにビジネスやサービスは成り立たない。
そんな65歳以上だが、65歳未満の世代からはお年寄りとか老人と呼ばれるが、本人たちはそうは思っていない人が多いことでも知られている。
そこで商売っ気を剥き出しにする業界ではシニアという呼称を当てはめたが、これもそっぽを向かれてる。
シニアというのは自分のことではなく、自分より年上の人のことだとお年寄りも思っているからだ。
だから自分に向けられたことばだと実感を持てないのだ。
更にいうと、65歳以上の人達が自身のことをシニア(老人やお年寄りも含めて)と思っていないというよりも、自分より年下の他人にシニア呼ばわりされることが不愉快なのだ。
と考えると、どんな呼称を与えても受け入れることは無いような気がする。
マンガ「サザエさん」に出てくる波平さん(おじいちゃん)は年齢54歳という設定らしいが、日本では終戦後の数十年でシニア層のイメージが大きく変わったことが波平さんの設定からも感じられる。
ちなみに、マーケティング業界ではシニア層の特徴の一つとして保守的だと位置付けることが多い。
ウィキペディアでは保守を次のように説明している。
従来からの伝統・習慣・制度・社会組織・考え方などを尊重し、革命などの急激な改革に反対する社会的・政治的な立場、傾向、思想などを指す用語。また、そのような政治的な立場を奉ずる人物、勢力も保守、あるいは保守主義者(英: conservative)と呼ぶ。対義語はリベラル、進歩、革新など。
過去や伝統に強い拘りを示すことばには二種類ある。
『保守』と『所与』。
似てるようで違いも感じられるこの二つのことばについて書いてみた。
内容的には独断と偏見を交えた、だからどうしたというレベルの話。
変化することを嫌がるというのが共通点だが、保守の場合には変化しない方(変化する前)が良い状態だと考えているのに対し、所与性を大事にする人達は良かろうが悪かろうが変化して欲しくないと考えている。
保守の面白いところは、今現在の状態が変化の結果たどり着いた状態だとした場合でも、変化前に戻りたいと望むことだ。
保守的な人にとっての理想は過去に存在するので、伝統やしきたりを重視する。
同じく伝統やしきたりを重視するのが所与的な人だが、所与的な人にとっての理想は現状維持。
これを『若さ』や『健康』をテーマにしてシニアマーケティングに当てはめると、
保守的な人たちは、実質的な若返りを望むことになるのだろうか?
それに対し、
所与的な人たちが望む現状維持は惰性的でもあり、哲学的でもある。
『若さ』や『健康』を望むとしても、保守的な人が望んでることと、所与性を求めてる人とでは、ふさわしい商品やサービスは全く違ったものになりそうだ。
保守的な人が求める『若さ』に対処する場合は整形手術も選択肢に入るかもしれないが、所与性を求める人にとっては「適度な運動」が求める答えということもありそうだ。
『保守』の反対語としての『革新・リベラル』は、
『シニア(年寄り)』に対する『若者』ようであり、
『アナログ』に対する『デジタル』のようでもあるが、
いずれも本来は対立したり、反対に位置付けられる概念ではなさそうな気がする。
保守も所与(性)も基本は、伝統やしきたりを重んじ、そこから外れた振る舞いをしないことで、伝統的な祭りが女人禁制だったりすることに名残りが感じられる。
保守も所与も過去が大事だが、保守はその伝統やしきたりの由来に拘るが、所与は由来など気にしない、という違いがある。
最近、半グレという存在が話題になるが、従来のヤクザが保守的な任侠道に基づく人間関係の上に成り立っていたのに対し、半グレは行動パターンは似ていても全てがビジネスライク。
ヤクザは保守的で、半グレは所与的だと言えそう。
所与(性)ということばをはっきり認識したのは1年前だが、保守と比較することで「変化を嫌がる」気持ちにも種類があることが分かった。
そんな気持ちは実生活の場では、慣れ親しんだものに愛着を感じさせるので、不便だったり非効率でも、さほど不満も感じずに許容してることがたくさんありそうだ。
子供の頃の話だが、幼稚園の時まで母をママと呼んでいた。
まもなく小学校に入学するという頃のある日、「今日からはママじゃなくてお母さんと呼びなさい」と言われて、非常に傷ついたことを覚えている。
この気持ちは、きっと心のどこかに芽生えていた所与性を求める気持ちのせいだったんだなと思い出した。
それなりに人生を重ねると誰の心にも、「ああ、このままずっと続けば良いのに」と思ってることの一つや二つはあるはず、そんな気持ちにも保守性に起因するものと、所与性に起因するものがある。
その違いを知ったからといって得をするとは限らないが、損をすることはないだろう。