パソコンが普及し始めた頃よく言われていたことに、「パソコンに向かい合ってるだけで仕事した気になるな」というのがある。
やってる本人以外の人には何をやってるかが分かりにくかったからだ。
そういう時代を経て今に至ると、その傾向はますます強くなっていて、多くは時間の使い方であったり、コミュニケーションを巡ってだ。
時間が無いと言いながら、ゲーム等の時間潰しに余念が無い人々がいたり。
時間の有効活用を口にするが、実際の行動は生産性が低い人だったり。
コミュニケーションが大事だと考える人も、誰とコミュニケーションを取るかよりも、どんなコミュニケーションだったかだけを気にするだけになっている。
「忙しい」が口癖の人は忙しいのではなく、要領が悪い場合が多い。
要領の悪さは、本来の本質を避ける流れを作るのかもしれない。
次の話は、一見正当な自己主張の体を取っている。
〝本学は、あくまで教育に特化する〟〝高度な研究機関として評価される大学は目指さない〟と掲げている。
その上で、〝本学が求める大学教員像〟が示され、一番下には〝従来の日本の大学に見られる典型的な「研究者教員」を望む人は、今後、本学とのマッチングはない〟と明記されている。
山梨学院大学で異常事態…「非常勤講師切り捨て」とモラルの崩壊 「もう研究者はいらない」?
文部科学省が学術研究の意義の学術の役割の中で次のように書いている。
教育と研究は切り離して考えることができず、研究の衰弱が、急激な教育の危機的な状況を生み出している。また、科学者の社会的責任についても議論が必要。
山梨学院大学は、理事長と学長が兼務なので独裁がまかり通りやすいのだろうが、今の方針だと大学ではなく専門学校だと思える。
同様に、本来の本質とは何だったのかを考えさせられる出来事が今年の夏起きていた。
こういう報道は初めて見た。「新たなスタッフ集め名物ラーメンも復活」とめでたく謳い上げるが、要はスト破りじゃないですか?
— ロバート キャンベル (@rcampbelltokyo) August 17, 2019
佐野SAを運営する親会社に対し先月から納入業者が卸しを中止、環境の劣化に業を煮やした従業員たちがストライキに入ったまま。
名物ラーメンが泣く https://t.co/FYWbOdTMQx
従業員が社長の人事や会社運営に反発しストライキをしたら、社長が新たに別の従業員を新規に雇ったのだ。(※)
ストライキは労働者の権利とされ、ストライキ中に働くことがスト破りとされ、働いた社員がその後不利な扱いを受ける可能性が高くなる。
しかし佐野SAの場合、ストライキをした社員とは別に新規に社員を雇用してるわけで凄く変則的な出来事が起きているのだ。
従来のストライキがなぜ有効だったかというと、従業員は時間とコストを掛けて教育育成され、さまざまなトラブルを経験し、それらを解決するというノウハウを持っているので簡単に替わりが見つからないと考えられていたからだ。
ノウハウを身に付けることは、学術の世界で言うならば研究の成果と言えるだろう。
佐野SAの変則スト破りは、社員の持つノウハウはマニュアルに置き換わるものだと思われてるから成り立つこと。
従業員と客のコミュニケーションが重要でない客商売が増えているのだ。
常連客ですら誰が従業員であっても構わないと考えるような業態が増えている。
だから従業員が頻繁に替わっても、受けるサービスに不満が無ければそれで良いとなる。
このような変化は、接客で働く側も感じてるだろう、と言うよりも二極化が進んでいるのだろう。
教育を重視するといえば耳触りは良いが、それはマニュアル化と同じで、誰がやっても同じ結果が得られることを目指す。
それに対して、研究を重視することは独自のノウハウを身に付けること。
与えられた方法に満足せずに自分なりの創意工夫を目指す。
この二つは離れているかもしれないが、実際には車の両輪のようなもので、どちらかに過度に偏ってしまうと同じところをグルグル回るだけで、真っ直ぐ進むことが出来なくなる。
曲がりどころで曲がるために偏っているのだったら構わないが、ハンドルが効いてないのだとすると怖いことだ。
(※)実際には新規の雇用ではなく、関連会社の未経験の社員らしい。