何でも検索すれば分かる時代では知識に対する評価が下がる傾向にあるが、それでも知識は高めた方が良いという話をしてみたい。
何を隠そう今日のブログを書くまでは、私自身が知識をバカにしていた、その理由の一つが昨今のクイズ番組ブーム。
高学歴の芸能人や現役の大学生がクイズに夢中になってる姿を見て、頭脳の活かし方を間違ってると感じていたからだ。
しかし、急にそんな私の考え方の方が間違ってるかもと気付いた。
例えば煽り運転。
今回煽り運転で逮捕された宮崎文夫は、逮捕後は「やりすぎた」と反省の弁を口にしているようだが、リアルタイムでは自分が何をしてるかに気付いてなかったのかもしれない。
世の中に煽り運転というものが存在してることは知っていても、自分がやってることが煽り運転だとは気付いてなかった(=知らなかった)のかもしれない。
そして、むしろ逆に自分の方が先に嫌がらせや煽りを受けたとすら思っていたのかもしれない。
類似事件や類似事故の再発防止のためには、知ることが肝心で周知徹底などと言われるが、それらは結果として呼び名を知ってる程度の単なる知識にとどまり、その中身までは理解されてないことが多いかもしれない。
煽り運転に関しても、世間の人は「またか」と思うが、煽る側は煽っているとは思ってないかもしれないので、実質的には全ては新規に起こる新種の事件や事故となる。
煽り運転ということばを知っているだけでは抑止効果は小さいのだ。
禅問答のようになるが、
知らないことは想像できない、
知らないことは調べられない、
知らないことは心配したり気にすることができない。
穴埋め問題に正解するだけだと正しい知識があるとは言えない。
問い)この著者の作品を三つ上げろ
この問いに正解を出せたとしても、その著作を読んだことがなければ本当の意味での知識にはならないだろう。
私たちが日常生活で知識と呼んでるものの多くは、それ単体では役に立たないことが多いのは、知ってるのが表面的なことで中身を知らない(=理解してない)からだ。
知るという簡単に感じられることは、理解することまで求められるとすればとてもハードルが高いのかもしれない。
知識なんか無くても検索すれば大丈夫と感じがちだが、実は知識が無ければ検索はできないし、検索にヒットしたものの中から自分が求めてるものを選ぶためにも知識は必要になる。
役に立つ知識とは相場感覚に似ている。
相場というと投資の世界の用語のように感じるが、状況が変化すると価格が変動するもの全般に当てはまる取り巻く環境を意味する。
取り巻く環境と言うと一目瞭然に思うかもしれないが、どんな環境が見えてるかは持ってる知識によって違うし、見えてる部分も別の見えてない部分と繋がっていることを考えると、見えてる環境とは人の数だけあることになる。
また環境とは別に、相場感覚に影響を与えるものに、心理の違いがあるが、売り買いに関して例を上げると。
- 売る側は早く売りたく、買う側は間違いのないものが欲しい。
- 売る側は高く売りたいし、買う側は安く買いたい。
- (投資ならば)買う側は、買った後の値上がりを期待している。
これらの心理も影響を与える相場感覚を身に付けるためにも正しい知識が必要になる。
この場合の知識には経験や勘も含まれるが、そうなると数値化し定量化することが難しくなる。
経験や勘を除いた知識は情報なので常に過去のものになる。
学ぶことの語源は真似ぶで、真似をすること。
職人の世界では、技術は教わるものではなく盗むものだった時代が長らくあった。
日本では、知識や経験は真似をし盗むものだったのだ。
知識を高めるための作業を勉強と呼ぶが、勉強と同じような作業がパクると言われることが増えている。
現代は、アウトプットするものはオリジナルでなければいけないという暗黙のルールがある。
自分のアイデアや発想に基づくものであり、自分の表現であることが求められるようになっている。
つまりアウトプットに関しては、真似をし盗むというのはやってはいけないことになってしまった。
東京オリンピックの大会エンブレムのパクリ騒動を覚えているだろうか?
何にも似てないオリジナルのデザインで高評価を得るというのは素人が考えてもとてつもないハードルの高さを感じるが、現代のデザイナーにはそれが要求されているのだ。
発明や研究開発をしてる人が「こんなことを考えてるのは私だけだろう」と思っていても、すでに似た内容で特許や実用新案などが取得されてるというケースはいくらでもあるだろう。
自分一人で思い付いたオリジナルであっても、オリジナルであることを主張したければ、前以て確認しておかなければならない。
この前以ての確認や調査も広い意味での知識になるだろう。
スポーツ選手が誰かお手本になる選手の動きを真似て(=パクって)活躍しても咎められることはないだろうが、芸人が別の芸人の動きを真似たらおそらく咎められるだろうが、真似をする相手が別業界の人ならばモノマネ芸として許容されるだろう。
スポーツ選手の場合は、結果やパフォーマンスで勝負してるので市場の取合いが起きないが、芸人の場合はやり方によっては市場の食い合いが起きるので揉めるのだ。
デザイナーがデザインで揉めるのは市場の食い合いが起きるから揉めるのだ。
知らなければ揉めないのに、知ってしまうと揉めることの多くには名誉や利害が関係する。
不満を持つ側は、自分が蔑ろにされたと感じたり、本当は自分が儲かったはずなのに、と思うから揉めるのだ。
このように考えていくと、知識の中には経験が含まれることはもちろんのこと、マナーや処世術も含まれると分かる。
このように考えていくと、知らないということの恐ろしさが感じられるとともに、知識というのは辞書を引いたりネットを検索するだけのものではないことが分かる。
未来に向かうための答えはどこにもないかもしれないが、最初の一歩は知識(経験や勘を含む)から始まる。