違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

今と昔(クレーム)!

今の状況が良くないと考える時に「昔は良かった」と思うことがある。

 

最近の日本人はマナーが悪くなったと言われるが、昔の日本人の方がマナーはもっと悪くてゴミのポイ捨ては当たり前で街は汚れていた。

 

昔の東京の川

 

具体的な写真やデータや事例で示されると納得できるが、昔と今を無意識に比較する際に誤った先入観に基づくことがある。

 

 

そこで、良いとか悪いとかという価値判断がし辛い、今と昔で違うことを取り上げたい。

 

 

現代は格差社会だと言われる。

 

だから、格差ということばは現代のことばだと思いがちだ。

 

辞書的には格差の反対語は対等や互角だが、敢えて反対語を平等だと位置づけ、格差や平等の今と昔を考えてみた。

 

 

昔ながらの大人の世界のドラマや映画では、主役、脇役、端役、エキストラなど、最初から大きく役回りが違う多数の人が集うことで成り立つが評価やギャラも大きく違い、まさに格差そのものだ。

 

同じ理屈は、少し前まで子供の世界にも当てはまっていたが、気が付いたら今の子供の世界では当てはまらなくなっている(らしい)。

 

今の子供の世界(=子供を取り巻く親や先生などの大人の理屈)では、主役は一人ではなく、全員が主役でなければいけないとされるらしい。

 

劇を演じる場合には、主役や脇役など役の格差や出番の時間の長さは差があったらダメで平等であることが求められる。

 

運動会でも勝った子が喜ぶだけは許されなく、負けた子も喜べるやり方が求められる。

 

通知表(通信簿)の表示が5段階から3段階へ減らされたのはずいぶん前だ。

 

3段階評価になると成績が良いのか悪いのかが分かりづらくなり、中途半端な平等感が出てくる。

 

子供の世界(=小学生以下)では、子供を心理的に病ませる原因に子供の扱い方に不平等があるからだと捉える傾向がある(=親がそう考えがち)。

 

取り繕うような平等を子供の世界に持ち込んでいるのは大人だ。

 

中学高校と進学するたびに、結果は常に不平等だと思い知らされる。

 

散々不平等を味わったからだろうか、不平等だという不満がクレームにつながり、幸か不幸か不満やクレームをぶつけることが今は昔に比べるとはるかに簡単になっている。

 

さらに言うと、学校の先生に限らずあらゆるビジネスがクレームの発生を恐れるようになっている。

 

その結果、クレームは言った者勝ちという風潮が出来上がった。

 

本来のクレームとは、買った商品やサービスに不備があった場合にユーザーから寄せられるものだが、現在では本来のクレームからは逸脱した不平不満も受付対象にしてしまってる企業が多い。

 

 

日本のビジネスの生産性は先進国で最低だと言われるが日本人の能力やレベルが低いとは思えない。

 

しかも日本人は真面目。

 

それなのに生産性が低いのはなぜかと言うと、現代の日本人がビジネスだと思っている多くのことは社の内外で発生するクレーム対応だからなのかもしれないと思えてくる。

 

だとしたら、生産性が低いのは当たり前だ、生産に関与してないのだから。

 

 

 

今日の話は、次のコントに触発されて書いてみた。

 

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