違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

電気のありがたさ!

台風15号の影響で発生した千葉の大停電は、電気のありがたさを感じさせるとともに、現代人がいかに何もかも電気に依存してるかを思い知らせてくれた。

 

直近では、2011年3月11日に発生した東日本大震災の影響での停電やその後の計画停電など東日本では電気に関して不自由を強いられる生活を余儀なくされたが、この時は命の危機を感じたこともあるだろうが不便や不自由に不平不満を言うよりも生きていることのありがたさの方が上回っているように感じられた。

 

千葉の大停電は千葉県民のローカルの出来事と受け取られてるのに対して東日本大震災の場合は、関東や東北の人全員の問題でもあったので、自分だけが被害者じゃないという思いが慰めになっていたはずだ。

 

2011年には計画停電をはじめ電力の使用制限が法律として発動されていた。

 

電気事業法で定める電気使用制限等規則が発動されたのだ。

 

本規則に基づき、具体的に電気の使用制限を発動するためには、経済産業大臣が対象地域や対象項目、対象者を指定する告示を別途発する必要があることから、報道機関などでは本規則と前述の告示をまとめて電力使用制限令(でんりょくしようせいげんれい)あるいは電力制限令(でんりょくせいげんれい)と称することが多い。

 

2011年に発動された電力使用制限のキッカケは地震そのもののせいではなくその二次被害が福島第一原発に発生したからであり、これ以降日本の原子力政策はトーンダウンし始めた。

 

日本で電力使用制限が発動されたのは2011年が二度目で、最初は1974年だ。

 

産油国の中東で起きた戦争で原油価格が急騰した影響が世界中に及んだ第一次オイルショックが発生し、エネルギーを原油に依存していた日本も影響を受け電力使用制限が発動されたのだ。

 

ウィキペディアにはこんな事例が載っている。

 

省エネルギーへの取り組み

  • デパートエスカレーター運転中止。
  • ネオンサインの早期消灯。
  • ガソリンスタンド日曜日休業。
  • 鉄道事業者における最終列車の繰り上げなどの処置。
  • 日本の地下鉄事業者がの照明を間引き。
  • 日本プロ野球においても、照明の消費電力をセーブするために平日のナイターを19時前後開始から18時前後(遅くとも18時30分までに)開始に繰り上げてみたり、また週末・祝日は極力薄暮を含めたデーゲーム(夏季除く)で開催するようにしていた。
  • トヨタ自動車日産自動車マツダなど主要自動車メーカーが、一斉にモータースポーツからの撤退を行った。
  • テレビ深夜放送の休止。特にNHKは教育、総合両方ともに23時以降の放送を休止と日中(総合ではUHFテレビ試験放送を含め月曜日から金曜日の15時-16時台前半。なお、国会中継高校野球中継が行われた場合は休止時間帯でも放送されていた。教育では14時30分-17時30分の内1-3時間)の放送休止。なお、民放5社が深夜放送の自粛を決定したのは、1973年(昭和48年)12月14日。また、岐阜放送テレビなど独立UHF放送局の一部では、放送開始時刻の大幅な繰り下げ措置や日中の放送休止時間(千葉テレビ放送奈良テレビ放送など)がとられた。

 

 

 

このオイルショックの経験が原油への依存の危機感を高め、原子力に舵を切るキッカケになっている。

 

事情が分かれば原子力発電は必要から誕生してることがわかる。

 

原子力発電は可変運転できないので常時一定電力を発電し続ける。

 

そのために割安な価格を設定してでも夜間の電力の使用が奨励されるようになったこともあり、このことが24時間店舗を増加させることに繋がり、人々のライフスタイルを変えることにも繋がった。

 

1974年の電力使用制限から傾いた原発依存は40年後にその傾きが修正されることになった。

 

 

千葉での大停電は、家庭の太陽光発電が有効であることに気付かせてくれたが、十分に機能を活かすためには蓄電池が重要であることも教えてくれている。

 

太陽光発電は備えているのに蓄電池を持たない家庭も多いのだ。(売電目的で設置してるから)

 

何もかも電気に依存する生活は簡単には改められない。

 

電気の地産地消は考えるべきテーマになりそうだ。